シェルブール攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:29 UTC 版)
「テキサス (BB-35)」の記事における「シェルブール攻撃」の解説
6月25日の朝にテキサスはシェルブールに接近し、アーカンソーと共に進撃し、街を取り囲む様々な防御施設および砲台に対し攻撃を開始した。沿岸の敵陣からも直ぐに応戦が始まり、午後12時30分頃にテキサスに夾叉した。敵からの攻撃によって艦の側で水柱が上がる中、テキサスは引き続き発砲したが、敵砲兵の射撃能力は高く、手強い相手であった。午後1時16分、28cm(11インチ)砲弾がテキサスの射撃管制塔に命中し操舵手が死亡、操舵艦橋にいた者も負傷した。この時、艦長のチャールズ・A・ベーカー大佐は奇跡的に無傷で艦橋を退避し、そして破損した艦橋を手早く修復させた。こうして艦に損害と犠牲者が出てもなお、砲撃は継続された。そしてしばらくすると、またもう一発の砲弾が命中した。命中した24センチ(9.4インチ)の徹甲弾はシェルブールの港から放たれ、士官室の下にある防水隔室に着弾したが、そこを破壊するには至らなかった。3時間に渡る戦いの結果、ドイツ軍は65発以上の直撃または至近弾をテキサスに与えたが、テキサスは15時に撤収命令が下されるまで砲撃を継続した。 その後テキサスはプリマスで修理を受け、そして次のフランス南部への進攻作戦に備えて訓練を開始した。7月16日、テキサスはベルファスト湾を離れ、地中海へと進路をとった。地中海へ到着したテキサスはジブラルタルとアルジェリアのオランに滞在したあと、チュニジアのビゼルト沖で3隻のフランス軍駆逐艦と合流し、フランス南部リビエラへと進路を向けた。7月14日の夜、テキサスはサントロペ沖に到着した。そして、7月15日午前4時44分に連合軍が上陸する前に上陸地点を砲撃するために砲撃ポイントへ移動し、午前6時51分、最初の砲撃目標である5つの15cm(5.9インチ)砲砲台へ向けて砲撃を開始した。敵からの抵抗が弱く、そのおかげで連合軍部隊が岸から内陸部へ素早く進撃したことにより、テキサスのこの作戦における火力支援は2日間で済んだ。8月16日の夕方、テキサスはフランス南岸から離れた。そしてシチリア島パレルモで停泊後、地中海からニューヨークへ向けて出港し、1944年9月14日同地に到着した。
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