シェルブールへの道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:44 UTC 版)
「シェルブールの戦い」の記事における「シェルブールへの道」の解説
6月18日、アメリカ第9歩兵師団がコタンタン半島西岸に到着した。24時間以内でアメリカ第4、第9、第79歩兵師団が半島を北へ進撃したが、半島の西側にドイツ軍はおらず、東側のモントブール(Montebourg)近郊にいた消耗しきったドイツ軍は撃破された。連合軍はブリックス(Brix)を占領、V1飛行爆弾、V2ロケット爆弾の基地を奪取した。 2日間でアメリカ軍はシェルブールを射程距離に捕らえた。シェルブールのドイツ軍(カール=ヴィルヘルム・フォン・シュリーベン中将)には将兵21,000名が所属していたが、多くは急いで徴兵された海軍要員、労働者、もしくは撃破された第709歩兵師団(シュリーベンが率いていた)の残存兵で、疲弊して混乱を起こしており、また弾薬、食料も少なかった。6月22日、コリンズは攻撃を開始した。最初、ドイツ軍の抵抗は激しかったが、アメリカ軍は掩蔽壕、トーチカへ浸透攻撃を行いドイツ軍を追い出した。 6月26日、第79師団はフォール・デュ・ルール(Fort du Roule)を占拠しドイツ軍の組織化された抵抗は終わりを告げることとなった。シュリーベンは捕虜になり、シェルブールのアーセナル(Arsena)と港湾設備での形ばかりの抵抗は数日で止んだが、ドイツ軍の一部の部隊は7月1日まで抵抗を続けた。
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