サーサーン朝滅亡後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 12:06 UTC 版)
「イスラーム教徒のペルシア征服」の記事における「サーサーン朝滅亡後」の解説
サーサーン朝はゾロアスター教を国教とした最後のペルシア系民族の国家であり、その滅亡とイスラーム教徒による征服は、ペルシア地域に新たな時代を告げるものだった。イスラーム勢力はペルシアを征服し、その技術や学問を吸収することで急速な発展を遂げた。ペルシアの文明は東ローマの文明と共に絢爛たるイスラーム文明の基となったとされる。イスラーム文明を彩る多くの神学、法学、哲学、自然科学の学者たちはペルシア人であった。アラビア文字で表されるようになったペルシア語は、イスラーム世界東部の国際語として機能し、多くの偉大な文学作品を生み出すことになる。 一方でゾロアスター教は国教から二等宗教へと転落し、信者にはジズヤの支払いをはじめとしてさまざまな差別待遇がかされることになった。ゾロアスター教徒の数は徐々に減少し、イスラーム教徒の圧迫を嫌った一部の信者は地理的・文化的に近いインド亜大陸へと亡命し、この人々の末裔が現在のパールシーであるとされている。
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