サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画
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「ジョット・ディ・ボンドーネ」の記事における「サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画」の解説
チマブーエはアッシジに新しく建造されたサン・フランチェスコ大聖堂の巨大なフレスコ画を描くためにローマを離れた。このときにジョットもチマブーエとともにアッシジへと赴いた可能性もあるが確証はない。この大聖堂上堂の聖フランチェスコの生涯を描いた一連のフレスコ画群が誰の作品であるのかが、美術史学上非常に大きな論争となってきた。当時のフランシスコ会修道士の記録でこれらの絵画の由来を示すものは、ナポレオン・ボナパルトがイタリアに侵攻し、大聖堂が軍馬の厩舎にされてしまったときに失われてしまった。そのため、ジョットが大聖堂のフレスコ画を手がけたかどうかについて学者の間でも大きく意見が分かれている。サン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画の作者がジョットではないという証拠が見つかっていないこと、チマブーエの作品ではないことが明確であることなどから、これらの絵画は当時他の誰よりも名声の高かったジョットの作品であるとする主張は昔から存在した。さらに現存しているギベルティやリッコバルド・フェラレーゼらが残した古い伝記によれば、サン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画が独り立ちして間もないジョットの作品であることを示唆する記述がある。しかし、1912年にドイツ人美術史家フリードリヒ・リンテランが別の見解を発表して以来、多くの学者がサン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画をジョットの作品とみなすことに疑義を呈している。学術的な証拠文献がない以上、作者を確定するには悪名高く信頼が置けない「科学」という鑑識眼に頼るほかないとしている。そしてアッシジとパドヴァでの製作過程を技術的な観点から検証、比較した結果、サン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画はジョットが描いたものではないとする有力な証拠が発見された。サン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画とスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画には大きな違いがあり、同じ画家の手によるものとは考えにくいとするものである。サン・フランチェスコ大聖堂上堂のフレスコ画は複数の画家によるもので、全員がおそらく当時ローマで活動していた芸術家である可能性が高い。もしこの説が正しいとすれば、ジョットが描いたスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画は、サン・フランチェスコ大聖堂上堂に描かれたフレスコ画の自然主義表現に大きな影響を受けていると考えられる。
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