サンフランチェスコ大聖堂のフレスコ画とは? わかりやすく解説

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サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 23:50 UTC 版)

ジョット・ディ・ボンドーネ」の記事における「サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画」の解説

チマブーエアッシジ新しく建造されたサン・フランチェスコ大聖堂巨大なフレスコ画を描くためにローマ離れた。このときにジョットチマブーエとともにアッシジへと赴いた可能性もあるが確証はない。この大聖堂上堂聖フランチェスコ生涯描いた一連のフレスコ画群が誰の作品であるのかが、美術史学上非常に大きな論争となってきた。当時フランシスコ会修道士記録でこれらの絵画由来を示すものは、ナポレオン・ボナパルトイタリア侵攻し大聖堂軍馬厩舎にされてしまったときに失われてしまった。そのため、ジョット大聖堂フレスコ画を手がけたかどうかについて学者の間でも大きく意見分かれている。サン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画作者ジョットではないという証拠が見つかっていないこと、チマブーエ作品ではないことが明確であることなどから、これらの絵画当時他の誰よりも名声高かったジョット作品であるとする主張は昔から存在した。さらに現存しているギベルティやリッコバルド・フェラレーゼらが残した古い伝記によれば、サン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画独り立ちして間もないジョット作品であることを示唆する記述がある。しかし、1912年ドイツ人美術史家フリードリヒ・リンテランが別の見解発表して以来多く学者がサン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画ジョット作品とみなすことに疑義呈している。学術的な証拠文献がない以上、作者確定するには悪名高く信頼置けない科学」という鑑識眼に頼るほかないとしている。そしてアッシジパドヴァでの製作過程技術的な観点から検証比較した結果、サン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画ジョット描いたものではないとする有力な証拠発見された。サン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画スクロヴェーニ礼拝堂フレスコ画には大きな違いがあり、同じ画家の手よるものとは考えにくいとするのである。サン・フランチェスコ大聖堂上堂フレスコ画複数画家よるもので、全員がおそらく当時ローマで活動していた芸術家である可能性が高い。もしこの説が正しいとすればジョット描いたスクロヴェーニ礼拝堂フレスコ画は、サン・フランチェスコ大聖堂上堂描かれフレスコ画自然主義表現大きな影響受けていると考えられる

※この「サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画」の解説は、「ジョット・ディ・ボンドーネ」の解説の一部です。
「サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画」を含む「ジョット・ディ・ボンドーネ」の記事については、「ジョット・ディ・ボンドーネ」の概要を参照ください。

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