サンダスキー川への行軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:05 UTC 版)
「クロウフォード遠征」の記事における「サンダスキー川への行軍」の解説
クロウフォードの志願兵隊は1782年5月25日に30日分の食料を持ってミンゴボトムを出発した。アービン将軍はこの作戦を立てる時にサンダスキー川まで175マイル (282 km) を7日間で行けると見積もっていた。この作戦は意気揚々と始められた。志願兵の中には「ワイアンドット族全てを掃滅する」つもりだと豪語する者もいた。 あまり訓練されていない素人兵士としての民兵によくあったように、軍事的な規律を維持することが難しかった。兵士達はその食料を浪費し、命令に反して野生動物に向かってマスケット銃を放つことも多かった。朝にキャンプを引き払うのも鈍く、警備の順番を忘れることもしばしばだった。クロウフォードも予想されたほど有能な指揮官ではないことが分かった。ローズは、作戦会議でクロウフォードが「支離滅裂な話し方をし、物事を混乱したまま提案し、他の者を自分の意見に説得することができない」と記していた。この遠征は指揮官達が次に何をするか議論するためにしばしば停止した。志願兵の中には気力を失い脱走する者が出てきた。 オハイオ地方を横切る旅はほとんどが森を抜けて行くものだった。志願兵達は当初4列縦隊で行軍していたが、深い下藪のために2列しか組めなくなった。6月3日、クロウフォードの兵士達はサンダスキー平原の開けた土地に出てきた。そこはサンダスキー川下流のプレーリー地帯だった。翌日、敵を見つけると期待していたワイアンドット族集落であるアッパーサンダスキーに到着した。しかし、そこは放棄されていることが分かった。クロウフォード隊は知らなかったが、ワイアンドット族はその集落を8マイル (13 km) 北に移していた。新しいアッパーサンダスキーの集落は「ハーフ・キングス・タウン」とも呼ばれ、現在のオハイオ州アッパーサンダスキーに近く、キャプテン・パイプの集落(現在のオハイオ州キャリー)にも近かった。クロウフォード隊はキャプテン・パイプの集落が近くにあることを気付いていなかった。 クロウフォード隊の士官達は作戦会議を開いた。ある者は、集落が放棄されていることはインディアンが遠征隊の存在を知っているのであり、どこか他でその戦力を集中させていると主張した。またある者は遠征を中止し即座に帰路に着きたいと言った。ウィリアムソンは50名を率いて放棄された集落を燃やす許可を求めたが、クロウフォードは部隊を分割したくなかったので、これを斥けた。この作戦会議では、その日の残りも行軍を続けるが、それ以上は行かないことに決められた。部隊が昼食を摂るために停止したとき、ジョン・ローズが斥候隊を率いて北に派遣された。間もなく2人の兵士が戻り、クロウフォード隊に向かって進軍してきていたインディアンの大部隊と斥候隊が小競り合いを演じていると報告した。
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