シーモン・アスペリンとは? わかりやすく解説

シーモン・アスペリン

(サイモン・アスペリン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/19 04:15 UTC 版)

シーモン・アスペリン
シーモン・アスペリン
基本情報
ラテン文字名 Simon Aspelin
フルネーム Simon Olof Karl Aspelin
国籍 スウェーデン
出身地 同・ザルツヨバーデン
居住地 イギリス・ロンドン
生年月日 (1974-05-11) 1974年5月11日(42歳)
身長 185cm
体重 80kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1998年
引退年 2011年
ツアー通算 12勝
シングルス 0勝
ダブルス 12勝
生涯通算成績 348勝305敗
シングルス 0勝2敗
ダブルス 348勝303敗
生涯獲得賞金 $2,120,860
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2006)
全仏 3回戦(2005・07-09・11)
全英 ベスト8(2004・06・09)
全米 優勝(2007)
優勝回数 1(米1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 436位(1998年8月17日)
ダブルス 7位(2008年3月7日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
2008 北京 ダブルス

シーモン・オロフ・カール・アスペリンSimon Olof Karl Aspelin, 1974年5月11日 - )は、スウェーデン・ザルツヨバーデン出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2007年全米オープン男子ダブルスでユリアン・ノールオーストリア)とペアを組んで優勝した。2008年北京五輪男子ダブルスで、トーマス・ヨハンソンと組んだ銀メダル獲得もある。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、4大大会の男子シングルスには1度も出場がない。ATPツアーで2007年全米オープンを含むダブルス12勝を挙げた。ダブルスの自己最高ランキングは7位。身長185cm、体重80kg、右利き。日本語では「サイモン・アスペリン」の表記も多く見られる。

来歴

アスペリンはジュニア時代から現在に至るまで、ずっと父親のコーチを受けてきた。1993年から1997年までアメリカカリフォルニア州マリブ市ペパーダイン大学に在学し、全米大学チャンピオンを経てから、1998年に24歳でプロ入りした。最初の2年間は男子ツアー下部組織の大会群(フューチャーズ、チャレンジャー)でシングルス戦もこなしたが、2000年以後はダブルスに専念するようになる。彼の最初期のダブルス・パートナーは、同じスウェーデンのヨハン・ランズバーグであった。2000年2月、ランズバーグと組んでフランスマルセイユ大会でツアー初優勝を果たす。アスペリンとランズバーグは年末の男子ツアー最終戦「ATPツアー世界選手権」にも初出場し、予選ラウンド・ロビン(総当たり戦)を突破して準決勝に進んだ。(競技方式:出場8組が、4組ずつ2つのグループに分かれて総当たり戦を行い、上位2組が決勝ラウンドに進出する。)2001年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップスウェーデン代表選手に初起用された。

それからしばらく好成績がなかったが、2003年に男子ツアーで2つのタイトルを獲得する。2004年ウィンブルドン男子ダブルスのベスト8進出をきっかけに、アスペリンは大半のトーナメントでトッド・ペリー(オーストラリア)とペアを組むようになり、2005年にペリーとのコンビで年間2勝を挙げた。2005年10月のジャパン・オープン決勝で鈴木貴男&岩渕聡組と対戦した出来事をきっかけに、シーモン・アスペリンは日本でも知名度を獲得する。このダブルス大会は、1セットを一律5ゲーム先取する変則的な方式で行われ、アスペリンとペリーは「4-5(3), 4-5(13)」のスコアで日本ペアに敗れた。アスペリンとペリーは、2006年10月のパリ・マスターズを最後にペアを解消した。

2007年全米オープンで、シーモン・アスペリンはユリアン・ノールオーストリア)とペアを組み、33歳にして4大大会男子ダブルス初優勝を飾った。2人は決勝戦でチェコペアのルーカス・ドロウヒー&パベル・ビズネル組を 7-5, 6-4 のストレートで倒した。全米オープン優勝直後、デビスカップ「ワールドグループ」準決勝の対アメリカ戦で、アスペリンは初めてシングルス戦に出場した。すでにスウェーデン・チームの敗戦が決まった後の消化試合だったが、彼は(下積み時代以来)8年ぶりのシングルス・マッチでジェームズ・ブレークに 1-6, 3-6 で敗れた。2008年北京五輪男子ダブルスで、アスペリンはトーマス・ヨハンソンと組んで銀メダルを獲得する。スウェーデン代表の2人は、金メダルをかけた決勝戦でスイス代表のロジャー・フェデラー&スタニスラス・ワウリンカ組に 3-6, 4-6, 7-6, 3-6 のスコアで敗れた。

アスペリンは2011年7月、地元のスウェーデン・オープンダブルス準優勝を最後に37歳で現役を引退した。

ATPツアー決勝進出結果

ダブルス: 33回 (12勝21敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2000年2月7日 マルセイユ ハード
(室内)
ヨハン・ランズベルク フアン・イグナシオ・カラスコ
ハイロ・ベラスコ・ジュニア
7–6(7–2), 6–4
準優勝 1. 2001年7月15日 ボースタード クレー アンドリュー・クラッツマン カーステン・ブラーシュ
イェンス・クニプシルト
6–7(3–7), 6–4, 6–7(5–7)
準優勝 2. 2001年7月29日 キッツビュール クレー アンドリュー・クラッツマン アレックス・コレチャ
ルイス・ロボ
3–6, 6–4, 3–6
準優勝 3. 2002年2月24日 ブエノスアイレス クレー アンドリュー・クラッツマン ガストン・エトリス
マルティン・ロドリゲス
6–3, 3–6, [4–10]
準優勝 4. 2002年4月14日 エストリル クレー アンドリュー・クラッツマン カーステン・ブラーシュ
アンドレイ・オルホフスキー
3–6, 3–6
優勝 2. 2003年5月19日 ザンクト・ペルテン クレー マッシモ・ベルトリーニ サルギス・サルグシアン
ネナド・ジモニッチ
6–4, 6–7(8–10), 6–3
優勝 3. 2003年7月7日 ボースタード クレー マッシモ・ベルトリーニ ルーカス・アーノルド・カー
マリアノ・オード
6–7(3–7), 6–0, 6–4
準優勝 5. 2003年9月14日 ブカレスト クレー ジェフ・クッツェー カーステン・ブラーシュ
サルギス・サルグシアン
6–7(7–9), 2–6
準優勝 6. 2004年7月11日 ボースタード クレー トッド・ペリー マヘシュ・ブパシ
ヨナス・ビョルクマン
6–4, 6–7(2–7), 6–7(6–8)
準優勝 7. 2004年7月17日 シュトゥットガルト クレー トッド・ペリー イジー・ノバク
ラデク・ステパネク
2–6, 4–6
準優勝 8. 2005年1月9日 アデレード ハード トッド・ペリー グザビエ・マリス
オリビエ・ロクス
6–7(5–7), 4–6
準優勝 9. 2005年1月17日 オークランド ハード トッド・ペリー イブ・アレグロ
ミハエル・コールマン
4–6, 6–7(4–7)
優勝 4. 2005年2月6日 デルレイビーチ ハード トッド・ペリー ジョーダン・カー
ジム・トーマス
6–3, 6–3
優勝 5. 2005年2月14日 メンフィス ハード
(室内)
トッド・ペリー ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
6–4, 6–4
準優勝 10. 2005年6月20日 ノッティンガム トッド・ペリー ジョナサン・エルリック
アンディ・ラム
6–4, 3–6, 5–7
準優勝 11. 2005年7月25日 インディアナポリス ハード トッド・ペリー ポール・ハンリー
グレイドン・オリバー
2–6, 1–3 途中棄権
準優勝 12. 2005年10月10日 東京 ハード トッド・ペリー 岩渕聡
鈴木貴男
4–5(3–7), 4–5(13–15)
準優勝 13. 2006年1月14日 オークランド ハード トッド・ペリー アンドレイ・パベル
ロジャー・ワッセン
2–6, 7–5, [4–10]
優勝 6. 2006年10月23日 サンクトペテルブルク カーペット (室内) トッド・ペリー ユリアン・ノール
ユルゲン・メルツァー
6–1, 7–6(7–3)
準優勝 14. 2007年1月14日 オークランド ハード クリス・ハガート ジェフ・クッツェー
ロジャー・ワッセン
7–6(11–9), 3–6, [2–10]
優勝 7. 2007年5月26日 ペルチャッハ クレー ユリアン・ノール レオシュ・フリエドル
ダビド・スコッチ
7–6(8–6), 5–7, [10–5]
優勝 8. 2007年6月17日 ハーレ ユリアン・ノール ファブリス・サントロ
ネナド・ジモニッチ
6–4, 7–6(7–5)
優勝 9. 2007年7月15日 ボースタード クレー ユリアン・ノール マルティン・ガルシア
セバスチャン・プリエト
6–2, 6–4
優勝 10. 2007年9月8日 全米オープン ハード ユリアン・ノール ルーカス・ドロウヒー
パベル・ビズネル
7–5, 6–4
準優勝 15. 2007年11月17日 上海 ハード
(室内)
ユリアン・ノール マーク・ノールズ
ダニエル・ネスター
2–6, 3–6
準優勝 16. 2008年8月17日 北京五輪 ハード トーマス・ヨハンソン ロジャー・フェデラー
スタニスラス・ワウリンカ
3–6, 4–6, 7–6(7–4), 3–6
準優勝 17. 2009年4月11日 カサブランカ クレー ポール・ハンリー ルカシュ・クボット
オリバー・マラチ
6–7(4–7), 6–3, [6–10]
準優勝 18. 2009年5月17日 マドリード クレー ウェスリー・ムーディ ダニエル・ネスター
ネナド・ジモニッチ
4–6, 4–6
優勝 11. 2009年7月26日 ハンブルク クレー ポール・ハンリー マルセロ・メロ
フィリップ・ポラセク
6–3, 6–3
準優勝 19. 2009年10月25日 ストックホルム ハード
(室内)
ポール・ハンリー ブルーノ・ソアレス
ケビン・ウリエット
4–6, 6–7(4–7)
準優勝 20. 2010年2月14日 ロッテルダム ハード
(室内)
ポール・ハンリー ダニエル・ネスター
ネナド・ジモニッチ
4–6, 6–4, [7–10]
優勝 12. 2010年2月27日 ドバイ ハード ポール・ハンリー ルーカス・ドロウヒー
リーンダー・パエス
6–2, 6–3
準優勝 21. 2011年7月17日 ボースタード クレー アンドレアス・シーエストロム ロベルト・リンドステット
ホリア・テカウ
3–6, 3–6

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シーモン・アスペリン」の関連用語

シーモン・アスペリンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シーモン・アスペリンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシーモン・アスペリン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS