ポール・ハンリーとは? わかりやすく解説

ポール・ハンリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/22 15:07 UTC 版)

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ポール・ハンリー
Paul Hanley
ポール・ハンリー
基本情報
フルネーム Paul Jason Hanley
愛称 Handles (ハンドルズ)
国籍 オーストラリア
出身地 同・メルボルン
生年月日 (1977-11-12) 1977年11月12日(40歳)
身長 183cm
体重 76kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1997年
引退年 2014年
ツアー通算 26勝
シングルス 0勝
ダブルス 26勝
生涯通算成績 451勝325敗
シングルス 0勝3敗
ダブルス 451勝322敗
生涯獲得賞金 $2,871,560
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(2006・07)
全仏 ベスト4(2003)
全英 ベスト4(2004)
全米 ベスト4(2006・07)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 準優勝(2011)
全仏 ベスト4(2005)
全英 準優勝(2005)
全米 ベスト4(2006)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 395位(2000年2月7日)
ダブルス 5位(2006年11月6日)

ポール・ジェイソン・ハンリーPaul Jason Hanley, 1977年11月12日 - )は、オーストラリアメルボルン出身の男子プロテニス選手。「ハンドルズ」(Handles)という愛称で呼ばれている。2005年ウィンブルドン選手権2011年全豪オープン混合ダブルスで準優勝した。サービスとフォアハンド・ストロークを武器にした選手。身長183cm、体重76kg、右利き。

来歴

ハンリーは普段からダブルスのスペシャリストとして活動し、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。ATPツアーでダブルス26勝を挙げた。ダブルスの自己最高ランキングは5位。彼が息を合わせてきたダブルス・パートナーには、同じオーストラリアのウェイン・アーサーズやケビン・ウリエットなどがいる。

ハンリーは両親がテニス・センターの経営者という家庭に生まれ育ち、早くからテニスに親しんだ。1997年に20歳でプロ転向。2001年からダブルスのスペシャリストとして頭角を現し始め、7月初頭のオレンジ・ワルシャワ・オープンで同じオーストラリアのネイサン・ヒーリーと組んで男子ツアー大会初優勝を果たす。この年はヒーリーとのペアで、ジャパン・オープン・テニス選手権男子ダブルス準優勝もあり、ハンリーとヒーリーは決勝でリック・リーチ/デビッド・マクファーソン組に6-1, 6-7, 6-7の逆転で敗れた。2002年までは男子ツアー最下層のITF男子サーキットでシングルスにも出場していたが、2003年以後は活動をダブルスのみに絞るようになる。

2002年全仏オープン男子ダブルスで、ハンリーは同じオーストラリアのウェイン・アーサーズと組んでベスト8に入った。しばらく様々な選手たちとのペアを試したが、2003年春から大半の試合でアーサーズと組むようになり、彼との組み合わせで2003年に全仏オープン前哨戦の1つのローマ・マスターズに優勝し、初めてのビッグタイトルを獲得する。ハンリーとアーサーズは、2003年全仏オープン2004年ウィンブルドン選手権で男子ダブルスベスト4に入った。2005年ウィンブルドン選手権混合ダブルスで、ハンリーはタチアナ・ペレビニスと組んだ。2人は決勝戦でマヘシュ・ブパシ/マリー・ピエルス組に4-6, 2-6のストレートで敗れ、優勝のチャンスを逃した。2005年の男子ツアー年間最終戦テニス・マスターズ・カップの予選敗退を最後に、ハンリーとアーサーズはペアを解消した。

アーサーズとのペア解消後、ハンリーは2年間ケビン・ウリエットと組んだ。ハンリーとウリエットの組は、2006年・2007年の2年連続で全豪オープン全米オープンの男子ダブルスベスト4に入ったが、4度とも決勝進出のチャンスを生かせなかった。2006年から、ハンリーは男子テニス国別対抗戦デビスカップオーストラリア代表選手を務め、これまでにシングルス0勝2敗、ダブルス8勝2敗の成績を挙げている。

ハンリーは2009年と2010年はシーモン・アスペリンと2011年からはルーカス・ドロウヒージェイミー・マリーエリック・ブトラックらとペアを組んでいる。2011年全豪オープン混合ダブルスでは詹詠然とペアを組んで決勝に進出した。決勝ではダニエル・ネスター/カタリナ・スレボトニク組に3–6, 6–3, [7–10]で敗れ準優勝となった。

ハンリーは2014年7月のクロアチア・オープンが最後の出場になり36歳で現役を引退した[1]

ATPツアー決勝進出結果

ダブルス: 51回 (26勝25敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2001年6月25日 ノッティンガム マーク・クラッツマン ドナルド・ジョンソン
ジャレッド・パーマー
4–6, 2–6
優勝 1. 2001年7月30日 ソポト クレー ネイサン・ヒーリー イラクリ・ラバーゼ
アッティラ・シャーヴォルト
7–6(10), 6–2
準優勝 2. 2001年10月8日 東京 ハード ネイサン・ヒーリー リック・リーチ
デビッド・マクファーソン
5–7, 6–7(2)
準優勝 3. 2002年7月15日 ボースタード クレー マイケル・ヒル ヨナス・ビョルクマン
トッド・ウッドブリッジ
6–7(6), 4–6
準優勝 4. 2002年10月28日 ストックホルム ハード
(室内)
ウェイン・アーサーズ ウェイン・ブラック
ケビン・ウリエット
4–6, 6–2, 6–7(4)
優勝 2. 2003年1月13日 シドニー ハード ネイサン・ヒーリー マヘシュ・ブパシ
ジョシュア・イーグル
7–6(3), 6–4
優勝 3. 2003年2月24日 ロッテルダム ハード
(室内)
ウェイン・アーサーズ ロジャー・フェデラー
マックス・ミルヌイ
7–6(4), 6–2
優勝 4. 2003年5月12日 ローマ クレー ウェイン・アーサーズ ミカエル・ロドラ
ファブリス・サントロ
7–5, 7–6(5)
準優勝 5. 2003年8月4日 ワシントンD.C. ハード クリス・ハガード エフゲニー・カフェルニコフ
サルギス・サルグシアン
5–7, 6–4, 2–6
準優勝 6. 2003年8月18日 シンシナティ ハード ウェイン・アーサーズ ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
6–7(3), 4–6
優勝 5. 2003年9月29日 上海 ハード ウェイン・アーサーズ 曾少眩
en:Ben-Qiang Zhu
6–2, 6–4
準優勝 7. 2003年10月27日 ストックホルム ハード
(室内)
ウェイン・アーサーズ ヨナス・ビョルクマン
トッド・ウッドブリッジ
3–6, 4–6
優勝 6. 2003年11月3日 パリ カーペット (室内) ウェイン・アーサーズ ミカエル・ロドラ
ファブリス・サントロ
6–3, 1–6, 6–3
優勝 7. 2004年2月23日 ロッテルダム ハード
(室内)
ラデク・ステパネク ジョナサン・エルリック
アンディ・ラム
5–7, 7–6(5), 7–5
準優勝 8. 2004年5月10日 ローマ クレー ウェイン・アーサーズ マヘシュ・ブパシ
マックス・ミルヌイ
6–1, 4–6, 6–7(1)
優勝 8. 2004年6月21日 ノッティンガム トッド・ウッドブリッジ リック・リーチ
ブライアン・マクフィー
6–4, 6–3
準優勝 9. 2004年7月19日 ロサンゼルス ハード ウェイン・アーサーズ ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
3–6, 6–7(6)
準優勝 10. 2004年11月1日 ストックホルム ハード
(室内)
ウェイン・アーサーズ フェリシアーノ・ロペス
フェルナンド・ベルダスコ
4–6, 4–6
優勝 9. 2005年2月14日 サンノゼ ハード
(室内)
ウェイン・アーサーズ イブ・アレグロ
ミヒャエル・コールマン
7–6(4), 6–4
準優勝 11. 2005年2月28日 スコッツデール ハード ウェイン・アーサーズ ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
5–7, 4–6
準優勝 12. 2005年3月21日 インディアンウェルズ ハード ウェイン・アーサーズ マーク・ノールズ
ダニエル・ネスター
6–7(6), 6–7(2)
優勝 10. 2005年5月23日 ペルチャッハ クレー ルーカス・アーノルド・カー マルティン・ダム
マリアン・オード
6–3, 6–4
優勝 11. 2005年7月25日 インディアナポリス ハード グレイドン・オリバー シーモン・アスペリン
トッド・ペリー
6–2, 3–1, 途中棄権
優勝 12. 2005年10月3日 バンコク ハード
(室内)
リーンダー・パエス ジョナサン・エルリック
アンディ・ラム
6–7(5), 6–1, 6–2
優勝 13. 2005年10月17日 ストックホルム ハード
(室内)
ウェイン・アーサーズ リーンダー・パエス
ネナド・ジモニッチ
5–3, 5–3
準優勝 13. 2006年1月9日 アデレード ハード ケビン・ウリエット ジョナサン・エルリック
アンディ・ラム
6–7(4), 6–7(10)
優勝 14. 2006年2月27日 ロッテルダム ハード
(室内)
ケビン・ウリエット ジョナサン・エルリック
アンディ・ラム
7–6(4), 7–6(2)
優勝 15. 2006年3月6日 ドバイ ハード ケビン・ウリエット マーク・ノールズ
ダニエル・ネスター
1–6, 6–2, [10–1]
優勝 16. 2006年5月22日 ハンブルク クレー ケビン・ウリエット マーク・ノールズ
ダニエル・ネスター
4–6, 7–6(5), [10–4]
優勝 17. 2006年5月29日 ペルチャッハ クレー ジム・トーマス オリバー・マラチ
シリル・スーク
6–3, 4–6, [10–5]
優勝 18. 2006年6月19日 ロンドン ケビン・ウリエット ヨナス・ビョルクマン
マックス・ミルヌイ
6–4, 7–6(5)
準優勝 14. 2006年8月7日 ワシントンD.C. ハード ケビン・ウリエット ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
3–6, 7–5, [3–10]
準優勝 15. 2006年8月14日 トロント ハード ケビン・ウリエット ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
5–7, 1–6
優勝 19. 2006年10月16日 ストックホルム ハード
(室内)
ケビン・ウリエット オリビエ・ロクス
クリストフ・フリーヘン
7–6(2), 6–4
優勝 20. 2007年1月15日 シドニー ハード ケビン・ウリエット マーク・ノールズ
ダニエル・ネスター
6–4, 6–7(3), [10–6]
準優勝 16. 2007年5月21日 ハンブルク クレー ケビン・ウリエット ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
3–6, 6–3, [7–10]
準優勝 17. 2007年8月12日 モントリオール ハード ケビン・ウリエット マヘシュ・ブパシ
パベル・ビズネル
4–6, 4–6
優勝 21. 2008年3月1日 ザグレブ ハード
(室内)
ジョーダン・カー クリストファー・カス
ロヒール・ワッセン
6–3, 3–6, [10–8]
準優勝 18. 2009年4月11日 カサブランカ クレー シーモン・アスペリン ルカシュ・クボット
オリバー・マラチ
6–7(4), 6–3, [6–10]
優勝 22. 2009年7月26日 ハンブルク クレー シーモン・アスペリン マルセロ・メロ
フィリップ・ポラーシェク
6–3, 6–3
準優勝 19. 2009年10月25日 ストックホルム ハード
(室内)
シーモン・アスペリン ブルーノ・ソアレス
ケビン・ウリエット
4–6, 6–7(4)
準優勝 20. 2010年2月14日 ロッテルダム ハード
(室内)
シーモン・アスペリン ダニエル・ネスター
ネナド・ジモニッチ
4–6, 6–4, [7–10]
優勝 23. 2010年2月27日 ドバイ ハード シーモン・アスペリン ルーカス・ドロウヒー
リーンダー・パエス
6–2, 6–3
優勝 24. 2011年1月9日 ブリスベン ハード ルーカス・ドロウヒー ロベルト・リンドステット
ホリア・テカウ
6–4, 途中棄権
優勝 25. 2011年1月15日 シドニー ハード ルーカス・ドロウヒー ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
6–7(6), 6–3, [10–5]
準優勝 21. 2012年2月5日 モンペリエ ハード
(室内)
ジェイミー・マリー ニコラ・マユ
エドゥアール・ロジェ=バセラン
4–6, 6–7(4)
優勝 26. 2012年4月14日 カサブランカ クレー ダスティン・ブラウン ダニエレ・ブラッチャーリ
ファビオ・フォニーニ
7–5, 6–3
準優勝 22. 2012年7月28日 キッツビュール クレー ダスティン・ブラウン フランティシェク・チェルマク
ユリアン・ノール
6–7(4), 6–3, [10–12]
準優勝 23. 2012年9月30日 バンコク ハード
(室内)
エリック・ブトラック 盧彦勲
ダナイ・ウドムチョク
3–6, 4–6
準優勝 24. 2013年1月6日 ブリスベン ハード エリック・ブトラック マルセロ・メロ
トミー・ロブレド
6–4, 1–6, [5–10]
準優勝 25. 2014年2月23日 マルセイユ ハード
(室内)
ジョナサン・マレー ジュリアン・ベネトー
エドゥアール・ロジェ=バセラン
6–4, 6–7(6), [11–13]

脚注

  1. ^ Hanley, Hutchins Retire From Professional Tennis”. atpworldtour.com. ATP Tour, Inc. (2014年9月12日). 2014年10月10日閲覧。

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