コヴェントリー爆撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:08 UTC 版)
「コヴェントリー」の記事における「コヴェントリー爆撃」の解説
工業都市であったため、第二次世界大戦中の1940年11月14日にはナチス・ドイツによる爆撃「Coventry Blitz」の標的となり、コヴェントリー大聖堂(英語版)を含む市の中心の大部分が破壊された。 1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。設計を勝ち取ったのは、バジル・スペンス(英語版)。1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとして知られる。ジェイコブ・エプスタイン(英語版)作「聖ミカエルと悪魔」の青銅像、ジョン・パイパー(英語版)作の色彩豊なステンドグラス及びグレアム・サザランドのキリストの巨大なタペストリーに有名になった。 この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかしBBCによれば、真相はイギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがすなわちコヴェントリーであるということまではわからなかったとされる。
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