コンゴ戦争と大統領就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:25 UTC 版)
「ローラン・カビラ」の記事における「コンゴ戦争と大統領就任」の解説
「第二次コンゴ戦争」も参照 カビラは第一次コンゴ戦争が始まる1996年10月にフツの勢力を追ってツチの軍勢を率いて戻ってきた。ブルンジ、ウガンダ、ルワンダのツチ政権の支援を受け、カビラは議長としてコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) を率いて全面的な反乱を開始した。1997年半ばまでに「数万人の市民」の犠牲を伴ってカビラが勝利し、1997年5月の和平交渉の失敗によりモブツは国外逃亡した。5月17日ルブンバシで勝利宣言を行い、憲法を停止して国名をザイールからコンゴ民主共和国へ戻した。5月20日にキンシャサに入る時には終身大統領に事実上就任していた。 カビラはマルクス主義者であったが、この時の政策は資本主義と集団主義の混合であった。西側の一部にはカビラを新世代のアフリカの指導者としてその政策を前任者の権威主義、汚職、人権侵害と違うと評する者もいた。カビラはモブツ政権の情報相ドミニク・サコンビ・イノンゴの助言で個人崇拝を準備した為に自己顕示欲が強いと非難され、「もう一人のモブツ」とも呼ばれていた。 1998年にカビラの元同盟者であったウガンダとルワンダが彼に敵対して、新たな反政府勢力コンゴ民主連合 (RCD) を支援するようになった。カビラは南部アフリカ開発共同体に軍事介入を要請し、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラとともに第二次コンゴ戦争を戦い、南部と西部を維持した(北部はウガンダ、東部はルワンダに支配された)。 1999年7月の和平交渉で外国軍の撤退で合意された。
※この「コンゴ戦争と大統領就任」の解説は、「ローラン・カビラ」の解説の一部です。
「コンゴ戦争と大統領就任」を含む「ローラン・カビラ」の記事については、「ローラン・カビラ」の概要を参照ください。
- コンゴ戦争と大統領就任のページへのリンク