コンカニ語の文献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 06:38 UTC 版)
16世紀にゴア中心地を支配したポルトガル人は、コンカニ語を Concanim または Canarim と呼んだ。後者はカンナダ語を意味したが、誤解であることがわかった後もこの語は長く使われた。 当初、ポルトガル人はキリスト教の布教のためにコンカニ語を積極的に利用し、17世紀はじめにはコンカニ語の文法書や辞典、カテキズムの翻訳などが出版された。天地創造からキリストの生涯までを韻文で記した『クリスタ・プラーナ』(英語版)という書物も編纂された。しかし、異端審問の影響で、1684年にはキリスト教の布教にはポルトガル語のみが使用されるようになり、コンカニ語の使用は禁止された。 当初ポルトガル人はヒンドゥー教を禁止したため、隣接する州に多くの人口が流出した。これらの州にはオランダの影響が強く、アムステルダムで1678年に出版された『Hortus Indicus Malabaricus』というケーララ州のマラバール海岸の植物学に関する著作には、この地に移住したヒンドゥー教徒がコンカニ語で書いた植物の一覧が載せられた。これは歴史上デーヴァナーガリーで書かれた最初の印刷物である(ただし活字ではなく整版)。 いっぽう、ゴア州のヒンドゥー教徒はコンカニ語を口語としてのみとらえ、書くときにはマラーティー語を使用した。 その後長い間、コンカニ語は口語としてのみ使われたが、19世紀末になるとコンカニ語の雑誌が出現するようになった。 日本では、戸部実之による『コンカニ語入門』が泰流社より1993年に出版されているが、この著者はこの言語の専門家ではなく、専門家による信頼できる文献はいまだ出版されていない。
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