コメディアンから映画俳優へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 00:47 UTC 版)
「アンディ・グリフィス」の記事における「コメディアンから映画俳優へ」の解説
初期の活動として、田舎の男性がフットボールの観戦に行こうとする話である『What It Was, Was Football 』のような長編の一人芝居を行なっていた。1953年、この作品はコロニアル・レコードよりシングル・レコードで発売されてヒットし、1954年のチャートで第9位になった。 1955年3月、1話完結の『The United States Steel Hour 』シリーズで、アイラ・レヴィンの1時間のテレビドラマ版『軍曹さんは暇がない』(田舎者のアメリカ空軍兵の話)に出演した。1955年10月、ブロードウェイで同作の舞台版に出演し、1956年のトニー賞で演劇助演男優賞にノミネートされたがエド・ベグリーに阻まれ受賞を逃した。1956年、ついにシアター・ワールド賞を別の作品で受賞した。ニューヨーク・タイムズのブルックス・アトキンソンは「グリフィス氏はウィル・ストックデイル(役名)を見下すべきではない」、「彼はただ舞台の上を歩き、観客をまっすぐ見るだけ。武装兵がウィル・ストックデイルとうまく対処できなければ、観客もアンディ・グリフィスに我慢できないだろう」と表した。 1958年、映画版『軍曹さんは暇がない』にドン・ノッツ(微細運動技能試験を任されている伍長役)と共に出演し、これをきっかけに2人は長年に渡る関係が始まった。この作品は後のシチュエーション・コメディのテレビ番組『マイペース二等兵』に派生する。 1957年、ミュージカル『砂塵』にドロレス・グレイと共演した。ハロルド・ローム作詞作曲のこの作品は1年以上、472公演上演された。1960年のトニー賞でミュージカル主演男優賞にノミネートされたがジャッキー・グリーソンに阻まれ受賞を逃した。 1958年、フィーチャー映画『水兵さんは暇がない』でアメリカ沿岸警備隊を演じたが、評判も悪く商業的にも成功しなかった。
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