コメディアンデビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 07:42 UTC 版)
鹿児島市立清水中学校を卒業後、鹿児島市内の百貨店・丸屋呉服店に勤務する。1953年、『のど自慢素人演芸会』で鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京する。さまざまな職業を経て青木光一の付き人や島倉千代子の専属司会者を経て、獅子てんや・瀬戸わんや門下となり、漫才コンビ「内藤ロック・安藤ロール」を結成。解散後、「安藤ロール」の名のままストリップ劇場・「浅草フランス座」のコメディアンとなり、阿部昇二に師事。幕間コントで萩本欽一と共演した。萩本と出会ったのは1962年の秋のことだったが、年齢も芸人のキャリアも坂上が上だったこともあって、当時はお互い楽屋で口も利かない関係だった。1963年頃に中川プロダクションに所属。そこで後に自分たちのマネージャーとなる浅井良二に会う(浅井は当時中川プロで三木のり平、八波むと志のマネージャーをしていた)。しかし中川プロが大幅なリストラを断行することになり、坂上はその“リストラ要員”に含まれて退所する。
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