阿部昇二
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| あべ しょうじ 阿部 昇二  | 
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|---|---|
| 本名 | 常見馨 | 
| 生年月日 | 1922年 | 
| 没年月日 | 1987年9月26日 | 
| 出生地 |   | 
   
| 職業 | コメディアン、俳優 | 
| ジャンル | 映画、テレビドラマ | 
| 活動期間 | ? - 1987年 | 
阿部 昇二(あべ しょうじ、1922年9月 - 1987年9月26日)は、茨城県出身のコメディアン、俳優。本名は常見馨(つねみ かおる)。
幼少期は台湾で過ごし、嘉義中学を卒業した後、榎本健一に憧れて上京[1]。
大宮大洋(大宮敏光の義兄)が率いる劇団でデビューし、漫才師、大道具などを経て、戦前から終戦直後にかけて阿部昇二一座を結成して活動した[2]。
戦時中の慰問公演では、チンドン屋出身の中沢寅雄と漫才コンビを組んだ[3]。
後にフランス座などに所属。1987年1月31日の舞台を最後に浅草を去る[1]。同年9月26日没。
漫才コンビ解散後にくすぶっていた安藤ロール(坂上二郎)を弟子に迎えてコメディアンとして育成、のちの大ブレイクのきっかけを作った[4]。
出演作品
映画
- コント55号 人類の大弱点(1969年) - タバコヤの親爺
 - コント55号 宇宙大冒険(1969年)
 - 喜劇 ソレが男の生きる道(1970年) - 支配人
 - コント55号水前寺清子の大勝負(1970年) - 床屋の親父
 - めまい(1971年) - 秋律徹平
 - コント55号とミーコの絶体絶命(1971年) - 池谷
 - 初笑いびっくり武士道(1972年) - 福井藩重臣
 - お姐ちゃんお手やわらかに(1975年) - 河野はじめ
 - お祭り野郎 魚河岸の兄弟分(1976年) - 八百竹
 - 愛と誠・完結篇(1976年) - 岡島
 
テレビドラマ
- 荒野の素浪人
 - ウルトラマンタロウ 第17話「2大怪獣 タロウに迫る!」・第18話「ゾフィが死んだ! タロウも死んだ!」(1973年) - スイカ売りの親父
 - 雑居時代 第15話「今年はライオンどし?」(1974年) - 救急隊員
 - 特捜記者 犯罪を追え 第8話(1974年)
 - 破れ傘刀舟悪人狩り 
   
- 第25話「子はぐれ唐人」(1975年) - 侍
 - 第42話「愛の残影」(1975年) - 与平
 - 第81話「振り袖の熱い涙」(1976年) - 屋台蕎麦屋吾作
 
 - 悪魔のようなあいつ 第2話(1975年) - 夢さん
 - 破れ奉行(1977年) 
   
- 第6話「紀州藩を砲撃せよ」
 - 第36話「待伏せ!老中暗殺」
 
 - 図ぶとい奴・危険な賭け(1978年)
 - おてんば人生 第54話(1978年) - 主人
 - 大追跡 第16話「暴行魔W」(1978年)
 - 噂の刑事トミーとマツ 第2話(1979年) - 管理人
 - ぼくとマリの時間旅行(1980年) - 作業員
 
バラエティ
- みんなで出よう55号決定版!(1969年 - 1975年)
 - ウォー!コント55号(1969年)
 
舞台
- 唐版 滝の白糸
 
脚注
- 阿部昇二のページへのリンク