ゲルマン系民族の移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:51 UTC 版)
「民族移動時代」の記事における「ゲルマン系民族の移動」の解説
詳細は「ゲルマン民族の大移動」および「ドイツの歴史」を参照 本節では古代後期から中世初頭にかけて西ローマ帝国の領域内に居住するようになっていったゲルマン系の移動について記す。(参考:ゴート族、ブルグント族、ランゴバルド人、アングロ・サクソン人、ジュート人)。 最初にローマ帝国の領域に侵入したのは西ゴート族であり、続いて侵入したのが東ゴート族である。彼らはいずれも東方民族であるフン族からの略奪・虐殺を受け、逃げ延びる形で東ローマ帝国の領内に殺到し、傭兵として東ローマ帝国内で一定の地位を築いた。それに続く形でブルグント族がフランス北部に、ランゴバルドがイタリアに、アングロ・サクソン人とジュート人がブリタニアに、アレマン人(ケルト系と深く混血していた)が南西ドイツに侵入していった。 そして最終的にフランク人というケルト系やスラブ系・ラテン系の民族とゲルマン諸族が連合したグループが西ヨーロッパを担うようになっていく。ゴート人など初期に移動を開始した東側のゲルマン人は圧倒的多数派であったローマ人に同化したが、後発のフランク人はローマ化しつつも一定の影響力を維持し、ドイツ、イギリスなどの国家の根幹を築いた。 またゲルマン系の故郷とされる北欧の人々はヴァイキングとして盛んに活動して各地に血統を残している。
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