ゲルマン諸民族とキリスト教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:29 UTC 版)
「古代末期のキリスト教」の記事における「ゲルマン諸民族とキリスト教」の解説
ゴート人への伝道は3世紀末から4世紀にかけて、小アジアで連れ去られたキリスト教徒によって着手された。350年にはウルフィラスがコンスタンティノープルに来て、アリウス派にふれ、初のゴート人司教に叙階された。ウルフィラスはゴート文字による聖書翻訳を行い、その弟子たちによってゴート人、ヴァンダル人にはアリウス派が受け入れられていった。 ブリテン島にはローマ・カトリック教会が生まれていたが、410年に西ローマ帝国が属州ブリタニアを放棄してからは、6世紀に伝道が再開されるまで教会はほぼ消滅した。しかし、アイルランドではケルト人司教パトリキウス(387年? - 461年)が宣教した。 ガリアではローマ・カトリック教会が生まれており、西ローマ帝国の弱体化によって教会が社会を支えるようになった。元老院議員シドニウス・アポリナリスはキリスト教徒であり、ローマ市長官をつとめてクレルモン司教となり、ゴート人と戦った。
※この「ゲルマン諸民族とキリスト教」の解説は、「古代末期のキリスト教」の解説の一部です。
「ゲルマン諸民族とキリスト教」を含む「古代末期のキリスト教」の記事については、「古代末期のキリスト教」の概要を参照ください。
- ゲルマン諸民族とキリスト教のページへのリンク