ケムニッツからインゴルシュタットへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 18:43 UTC 版)
「アウトウニオン」の記事における「ケムニッツからインゴルシュタットへ」の解説
大戦敗北直後、アウトウニオンは直ぐにパーツデポを開設したが、その後ドイツは米英仏ソ4国に分割占領され、東部のザクセン州に拠点を置くアウトウニオンはソビエト連邦側に占領されたことで生産設備を失った。 その後、東ドイツに含まれたDKWの工場はMZと改められ、オートバイを生産した。ホルヒやアウディのツヴィッカウ工場はVEBザクセンリングとなり、ここからIFA F8(DKW マイスタークラッセF8とほぼ同型車)やトラバントなどが送り出されることになる。なお、1949年8月、アウトウニオンはケムニッツの会社登記簿から抹消されている。 一方、終戦直前にミュンヘンのアウトウニオンの子会社で、アウトウニオン再起の話が持ち上がっていた。そして、1947年、アウトウニオンの存続を図るべく、インゴルシュタットに本社が移転され、DKWの保守を目的としたパーツデポを開設、新生アウトウニオンGmbHを再結成する。1948年は在来モデルのパーツ生産の他に、DKWオートバイの生産を再開、翌年には復興需要に即応してDKW F800高速トラックを発表するなど、順調な回復軌道に乗った。 1950年には、前年に開設したデュッセンドルフ工場からDKWマイスタークラッセタイプF89(Meisterklasse Typ F89 )を発表した。このモデルは戦前最後のモデルであるF8のメカニズムをベースとしている。1953年にはマイスタークラッセの発展系である、DKWゾンダークラッセタイプF91(Sonderklasse Typ F91 )を発表し、1955年にはDKWゾンダークラッセ3=6タイプF93に発展する。1957年にはマイナーチェンジが施されタイプF94となった。更にこの年、ボディ改良と980ccエンジンを搭載したアウトウニオン・1000となった。このモデルは幾度も改良が続きながら1965年まで生産されている。
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