グデーリアンと戦争犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:47 UTC 版)
「ハインツ・グデーリアン」の記事における「グデーリアンと戦争犯罪」の解説
グデーリアンは回想録において戦争犯罪に一切関与していないとしているが、多くの傍証からその主張には疑念が抱かれている。ポーランド戦直後には息子ハインツ・ギュンターから、ポーランドにおいて親衛隊がユダヤ人に対する殺戮等の不法行為を行っているという報告を受けているが、グデーリアン自身はこれを上級者に上申することはしなかった。 1941年3月30日にヒトラーはソ連軍の捕虜に対して通常の軍刑法による裁判を停止するように命令しており、6月6日にはソ連軍の政治将校を裁判なしに処刑するコミッサール指令を発出している。グデーリアンは回顧録において軍刑法停止については下部部隊への下達を禁じ、コミッサール指令については存在自体知らなかったと述べている。しかしラッセル・A・ハート(Hart, Russell A)はグデーリアン麾下のレメルセン第47自動車化軍団長が、コミッサールとパルチザンの処刑を独ソ戦開始間もない頃から繰り返し命令していることを指摘し、グデーリアンの記述は虚偽であるとしている。また独ソ戦初期において前線付近でユダヤ人虐殺を行ったアインザッツグルッペンは国防軍部隊の支援を受けるとされており、実際に部隊の指揮官は国防軍司令官との間に何ら問題はなかったと証言を行っている。ハートは、グデーリアンがアインザッツグルッペンの行為に気づかなかったはずはないと指摘している。 また休職中の1942年には、グデーリアン家の先祖の所領があった、ポーランド領であったポーゼン州の土地の購入に関してヒトラーから打診を受けた。当初グデーリアンが希望していた土地は得られなかったものの、別の農場が用意され、グデーリアンは自らその農場を選択した。1944年2月にはこの農場の代金と開業費用を含めた124万ライヒスマルクにのぼる総統からの下賜金を受けている。マンシュタインの副官アレクサンダー・シュタールベルク(ドイツ語版)の回想録によれば、この話を聞いたマンシュタインは、グデーリアンが購入した地所に住んでいたポーランド人の地主について聞いたが、グデーリアンは「そこにはもうポーランド人は居なかった、どこに行ったか分からない」と答えた。この農場取得について、グデーリアンはその回想録では触れていない。
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