クレド・ムトワとは? わかりやすく解説

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クレド・ムトワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 04:08 UTC 版)

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クレド・ムトワ(1997年撮影)

ヴサマズル・クレド・ムトワ(Vusamazulu Credo Mutwa、1921年7月21日 - 2020年3月25日[1])は、南アフリカシャーマン

経歴

1921年に南アフリカナタール州に生まれる。母親は土着宗教、父親はクリスチャン・サイエンスの信者であり、近代的医療を禁じていた。自著によれば、ムトワは幼少期に深刻な病気を経験した際に母方の家に保護され、土着のヒーラー預言者となれという召命を感じたという[2]

1954年ヨハネスブルグの骨董品店に就職し、アフリカの工芸品鑑定を通じてズールー族の歴史や慣習、宗教的信念を外部に伝える語り部として頭角を現した。1964年にウィットウォーターズランド大学のA・S・ブリンクの編集によって、ムトワの話をまとめた『インダバ、私の子どもたち(Indaba,My Witness)』が出版される。本の内容はそれ以前のズールー族の民俗研究との関連が少なかったが、想像力豊かなムトワの詩や散文は、正統なズールー族の伝承として受け止められた[2]

1990年代に書かれたムトワの伝記によれば、1963年にズールーの人々から未婚の高貴な呪医を意味する「偉大なサヌーシ」の称号を公式に得たとされる[2]。公式の背景は不明ながら、ムトワは後の活動や事業において「偉大なサヌーシ」を肩書きとして使用している。

1970年代には海外からの観光客向けにソウェトに建設された、アフリカの文化や宗教を紹介するために再現されたアフリカの村の案内役として採用される[2]。ムトワはアフリカ村に風変わりなやしろを建てたが、1976年ソウェト蜂起アパルトヘイトを助長するものと看做され、学生たちによって襲撃された。ムトワはやしろの再建を諦めて1978年にソウェトから退去した。なお、荒廃し放置されていた施設は、2006年にクレド・ムトワ文化村として再建された[3]

ムトワはボプタツワナバントゥースタン1983年に開業したロートラモレング・ダム文化公園で、ツワナ族やズールー族など南アフリカの諸部族の村を再現した、以前よりも規模の大きい観光アトラクションを監督した。しかし、1994年にボプタツワナが南アフリカに再編入されると、ルーカス・マンゴーペ大統領の支持を公言していたムトワは免職となった[2]

ムトワは東ケープ州に移動し、シャンワリ禁猟区で観光客向けに工芸品の販売と鑑定、それらにまつわる儀礼を委託された。また、シャンワリ自然保護区に併設されたアフリカ芸術・文化村カヤ・レンダバを主宰し、自然とアフリカ文化の融合を教示した。最終的に文化村からも退去することになるが、ムトワは活動を通じて自然保護活動家と目されるようになり、1997年にはアウディ・テラ・ノヴァ賞を授与された[2]。その後も環境保護運動動物の権利活動など様々な大衆運動に参加した。

また、1990年代以降、科学的医学以外の伝統的な治癒者を世界保健機関に承認させる活動を行い、2000年に開かれた第13回国際エイズ会議ではエイズ治療にハーブの使用を促進するように訴えた。こうした活動は大衆からは嘲笑され、科学的医学界からは半ば無視されたが[2]ニューエイジ霊性運動からは注目され、多くの交流が持たれた[2]

思想・言動

  • ムトワはアフリカ人の人種的アイデンティティの正統性を尊んでおり、自身を「ズールー族の伝統の守護者」と宣言し、ズールー族の伝統的な生活の維持を訴えた[2]。一方で、平等の権利には関心が無いと述べ、ANCを「バンツーの戦闘的反乱煽動者たち」と呼び、人種を区別するアパルトヘイト政策を「最高の自然法」として支持した。アパルトヘイトの終了後も分離主義支持の姿勢は変わらず、自然保護活動家となった後は、動物と人間の分離を訴えている。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “Credo Mutwa passes on at 98 years old” (英語). citizen.co.za. (2020年3月25日). https://citizen.co.za/news/south-africa/breaking-news/2260077/credo-mutwa-passes-on-at-98-years-old/ 2020年3月26日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j チデスター 2004, pp. 278-290.
  3. ^ Credo Mutwa Cultural Village - Gauteng Tourism Authority 2018年9月21日閲覧。

参考文献

  • デイヴィッド・チデスター、荒木美智雄(編)、宮本要太郎(訳)、2004、「ズールーのシャーマン、クレド・ムツワ」、『世界の民衆宗教』、ミネルヴァ書房〈人文・社会科学叢書〉 ISBN 4623037797

関連項目

外部リンク


クレド・ムトワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:26 UTC 版)

ヒト型爬虫類」の記事における「クレド・ムトワ」の解説

1990年代南アフリカシャーマンであるクレド・ムトワは、自身遭遇したアブダクション体験から、ズールー族伝説現れる奇妙な連中」を異星からの来訪者解釈した。その中の一種であるヒト型爬虫類チタウリ(Chitauri)は人に害を与え危険な種としており、宗教的狂信者好んで接触し宗教通じて人類分裂させ地球征服目論んでいると述べた。 ムトワはデイビット・アイク交流があり、引用コラボレーション多数行われている。アイク製作したビデオ作品爬虫類問題』のなかでムトワは、レプティリアンチタウリ同一のものとし、チタウリ数千年にわたり人類支配してきた姿を変えるヒト型爬虫類であると主張した

※この「クレド・ムトワ」の解説は、「ヒト型爬虫類」の解説の一部です。
「クレド・ムトワ」を含む「ヒト型爬虫類」の記事については、「ヒト型爬虫類」の概要を参照ください。

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