クライスラー会長へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 04:44 UTC 版)
「リー・アイアコッカ」の記事における「クライスラー会長へ」の解説
フォードを解雇された直後の1978年11月に、フォードのライバルであり、日本車との販売競争や第2次オイルショックによる大型車戦略の破たん、ずさんな財務などのあおりを受けて、当時深刻な経営危機に陥っていたクライスラーのジョン・J・リカルド会長に請われて同社の社長に就任する(その後1979年9月に会長に就任)。 就任後は同社の社内改革を進める一方、自らの年俸を1ドルとし労働組合との共闘の道を開いた。また、1979年12月には、同月に成立した債務保証法により連邦政府から15億ドルの資金調達に成功。同時にV型8気筒エンジン搭載の中・大型車中心の開発姿勢から、2.2リッター直列4気筒エンジン(Kエンジン)搭載の小型車(Kプラットフォーム 日本では中型セダンにあたるモデル)中心の開発へと舵を切った。 2年後、1981年に発売された小型車、プリムス・リライアント、ダッジ・アリエス、ダッジ400(いずれもKエンジン・Kプラットフォーム採用モデル)は大ヒットし、また連邦政府からの借金を全額返済し、クライスラーは深刻な経営危機から立ち直ることとなる。
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