キャンペーンの推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 06:07 UTC 版)
「ディスカバー・ジャパン」の記事における「キャンペーンの推移」の解説
1972年の山陽新幹線岡山開業、1975年の同線博多開業と国鉄の新幹線網が延びていき、在来線においても1972年にエル特急が登場するなど、特急列車が大幅に増発された。当時は地方空港や高速道路網の整備はまだ進んでおらず、マイカーの普及もまだ発展途上だったこともあり、旅行者の多くは国鉄を利用していた。 またキャンペーンの始まりと時を同じくして、1970年3月に女性雑誌『an・an』、1971年5月に同『non-no』が創刊された。両誌は各地の小京都や倉敷・萩などのシックな町並み、中山道の静かな宿場(妻籠宿・馬籠宿など)をファッションモデルが訪れる形式で紹介して、若い女性の個人旅行スタイル「アンノン族」を生み出した。各観光地には小グループの女性客が多く来訪するようになり、観光地は女性をターゲットとした街造りを意識するようになった。「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンは第1次オイルショック(第1次石油危機)を経ながら、1976年12月まで続けられた。『an・an』のモデルでもあった秋川リサは後に、「気ままな旅のリサでございます」という全国の周遊券のテレビCMに登場した。なお、批評家の山崎昌夫や写真家の中平卓馬などによるキャンペーンを批判する動きもあった。
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