キスマユ撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:23 UTC 版)
「アル・シャバブ (ソマリア)」の記事における「キスマユ撤退」の解説
2012年9月、ケニア軍を主力とするアフリカ連合部隊は、南部の港湾都市であるキスマユを包囲。9月28日には海岸への揚陸戦を実施し総攻撃の体制を採った。これに対してアル・シャバブは交戦せず9月29日に撤退を開始。掌握下にあった最後の大都市を失った。以後はブラバなどが拠点となっている。 2013年1月、ブラ・マレル(英語版)において、フランス軍は拉致されていたフランス兵1人の救出作戦を行うが失敗。兵士は死亡し、救出部隊は1人が死亡、1人が捕虜となった。アル・シャバブ側は17人が死亡。 2013年9月21日、隣国ケニアの首都ナイロビの商業施設で、39人が死亡する襲撃事件があり、アル・シャバブが犯行声明を出している。 2013年10月5日、ブラバの拠点が国籍不明の武装ヘリコプターの攻撃を受けるが、アル・シャバブはこれを撃退。 2014年9月5日、アメリカ国防総省は、9月1日に実施した対テロ作戦において、指導者アハマド・アブディ・アウ・ムハンマドを殺害したと発表した。 2015年4月2日、ケニアのガリッサ・ユニバーシティ・カレッジ(ガリッサにある教育大学で、モイ大学(英語版)の付属校)を襲撃し、学生ら約150人が死亡した。 2017年10月14日、モガディシオ中心部大規模な爆弾攻撃が起き、358人の死者を出した。アル・シャバブが2007年に反政府活動を始めて以降、最大のテロ攻撃となった。
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