ガルヴァーニとボルタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/30 19:38 UTC 版)
「ルイージ・ガルヴァーニ」の記事における「ガルヴァーニとボルタ」の解説
ボルタはガルヴァーニの実験からさらに研究を進めて電池を発明した。ガルヴァーニの名はガルバニ電池としても残っているが、ガルヴァーニ本人は電気は生体が発するものだと考えており、電池を作ったわけではない。ガルヴァーニ自身は生気論を尊重していたため、電気を生命の基本要素とは見ていなかった。ガルヴァーニは「動物電気」は筋肉内で発生すると信じていた。同時代人のアレッサンドロ・ボルタは逆に「動物電気」を物理的現象と捉え、2つの異なる金属(メス)をカエルの足を通して触れ合わせることにより発生したと考えた。両者で論争が起こり、1800年のボルタ電池の発明でボルタに軍配があがる。 ガルヴァーニが考えたように、生命活動は電気的なものであり、特に生体を構成する細胞それぞれに細胞電位(静止電位)があるが、その電気を発生する仕組みは化学電池と同じであり、生体外でも再現可能だという点でボルタの直観は正しかった。ボルタはガルヴァーニのいう「動物電気は流体だ」という結論には同意しなかったが、両者は意見は違えども互いに尊敬しあっており、ボルタは化学反応で発生した直流の電気を galvanism と名付けた(galvanism は直流電気とも訳される)。電気発生の仕組みについての意見の対立から、ボルタは相手の理論が間違っていることを示すために世界初の電池を作った。それがボルタ電池と呼ばれるようになった。ガルバニ電池とはボルタ電池なども含めた化学電池が電気を発生する仕組み、あるいは同様の電気化学的な系を指すもので、特定の電池を意味しない。 この背景としてボルタはイタリアを征服したナポレオンに崇敬の念を持ち、ガルヴァーニは生涯をつうじてナポレオンを嫌った感情の対立も挙げられ、結果としてガルヴァーニがボローニャ大学を去るが現在のイタリアでは圧倒的にガルヴァーニは愛国者として親愛の対象となっている。
※この「ガルヴァーニとボルタ」の解説は、「ルイージ・ガルヴァーニ」の解説の一部です。
「ガルヴァーニとボルタ」を含む「ルイージ・ガルヴァーニ」の記事については、「ルイージ・ガルヴァーニ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からガルヴァーニとボルタを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からガルヴァーニとボルタを検索
- ガルヴァーニとボルタのページへのリンク