ガエル・モンフィスとは? わかりやすく解説

ガエル・モンフィス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/01 09:37 UTC 版)

ガエル・モンフィス
Gaël Monfils
2023年シティ・オープンでのガエル・モンフィス
基本情報
フルネーム Gaël Sébastien Monfils
愛称 ラモンフ(Lamonf)
国籍 フランス
出身地 同・パリ
生年月日 (1986-09-01) 1986年9月1日(38歳)
身長 193cm
体重 85kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2004年
ツアー通算 12勝
シングルス 12勝
ダブルス 0勝
生涯獲得賞金 21,701,320 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2016・22)
全仏 ベスト4(2008)
全英 4回戦(2018)
全米 ベスト4(2016)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2006・14)
全仏 2回戦(2007・10)
全米 1回戦(2005・10・11)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 2回戦(2006)
全仏 2回戦(2008)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 準優勝(2010・14)
ATP杯 ラウンドロビン(2020・21)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 6位(2016年11月7日)
ダブルス 155位(2011年8月8日)
2024年4月23日現在

ガエル・セバスティアン・モンフィスGaël Sébastien Monfils, フランス語発音: [ɡaɛl mɔ̃ˈfis] ,1986年9月1日 - )はフランスパリ出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは6位。ダブルス155位。これまでにATPシングルスで12勝を挙げている。身長193cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

配偶者はウクライナのテニス選手のエリナ・スビトリナ

選手経歴

ジュニア時代

1986年9月1日にフランスパリで生まれる。父親がグアドループ島出身の元プロサッカー選手で、現在はフランスの携帯電話会社に勤めている。母親はマルティニーク島出身の看護師であり、そのためモンフィスは西インド諸島のルーツを持つ。

趣味はブレイクダンスで、バスケットボールも得意である。「もしテニス選手にならなかったら、バスケットボールをしていただろう」と述べていたが、テニスの道を歩むことを決めた。2002年にはジュニアのトーナメントを巡り、ジュニア世界ランキングで4位。

2004年 プロ転向

2004年4大大会のジュニア男子シングルスで、全豪オープン全仏オープンウィンブルドンの3連勝を成し遂げ、ジュニア世界ランキングで1位の座を獲得した。同年にプロ入り。

大会 2002 2003 2004
ジュニアグランドスラム
全豪オープン A QF W
全仏オープン 1R 2R W
ウィンブルドン A 2R W
全米オープン A 2R 3R

2005年 最優秀賞新人賞

8月にオレンジ・ワルシャワ・オープンの決勝でフロリアン・マイヤーを7-6, 4-6, 7-5で破り、男子ツアー初優勝を達成。その後、10月のモゼール・オープンの決勝でイワン・リュビチッチに敗れた準優勝がある。この躍進を評価されて、モンフィスは男子プロテニス協会の2005年度「最優秀新人賞」を受賞した。

2006年 トップ25入り

2006年全仏オープンで、モンフィスは初めて4回戦に進出した。この大会では、3回戦で第8シードのジェームズ・ブレークを6-2, 6-7, 7-6, 5-7, 6-4のフルセットで破ったが、続く4回戦でノバク・ジョコビッチに6-7, 6-7, 3-6のストレートで敗れた。

2007年 ツアー通算50勝

2007年全豪オープンでは、モンフィスは2回戦で前年度の準優勝者マルコス・バグダティスを7-6, 6-2, 2-6, 6-0で破って注目を集めたが、続く3回戦で同じ年のフランス人選手、リシャール・ガスケに敗れた。

2008年 全仏ベスト4

2008年全仏オープンで初めてのベスト4に入り、自らの4大大会自己最高成績を更新した。初進出の準決勝で、モンフィスは第1シードのロジャー・フェデラーに2-6, 7-5, 3-6, 5-7で敗れた。第30シードに選ばれたウィンブルドンで、モンフィスは肩の負傷により大会開始直前に棄権した。

この後、北京五輪にフランス代表選手として初参加し、シングルスのベスト8に進出した。全米オープンでは初の4回戦進出を決めたが、地元アメリカ人選手のマーディ・フィッシュに5-7, 2-6, 2-6でストレート負けした。

2009年 トップ10入り

全豪オープンで、モンフィスは同じフランスのジル・シモンとの4回戦を途中棄権した。この後ツアー大会で成績を伸ばしたことにより、2009年3月2日付の世界ランキングで「9位」に入り、初の世界ランキングトップ10入りを果たした。この後全米オープンで2年連続の4回戦進出がある。地元のモゼール・オープンフィリップ・コールシュライバーを7–6, 3–6, 6–2で破りツアー2勝目を挙げた。

2010年 全米ベスト8

全米 オープンでベスト8に進出した。ジャパン・オープン・テニス選手権など3大会で準優勝し、南フランス・オープンイワン・リュビチッチを6-2, 5-7, 6-1で破り、ツアー3勝目を挙げた。12月のセルビアとのデビスカップ決勝戦にも出場し、第2試合でヤンコ・ティプサレビッチに6-1, 7-6, 6-0で勝利したが、第4試合のジョコビッチに2-6, 2-6, 4-6で敗れ、通算2勝3敗でフランスは優勝を逃した。

2011年 ツアー4勝目

全仏オープン4回戦でダビド・フェレールを6–4, 2–6, 7–5, 1–6, 8–6で破り2年ぶりのベスト8に進出した。準々決勝ではフェデラーに4-6, 3-6, 6-7で敗れた。7月には自己最高位の世界ランキング7位を記録した。10月のストックホルム・オープンの決勝でヤルコ・ニエミネンを7–5, 3–6, 6–2で破り1年ぶりのツアー4勝目を挙げた。

2012年 トップ10陥落

右膝の故障に悩み2012年の全仏オープンウィンブルドンロンドン五輪全米オープンを欠場した。モゼール・オープン出場後、楽天ジャパンオープンを棄権すると、そのままシーズンを終えた。年間最終ランキングは77位まで下降した。

2013年 復調

2013年、復帰戦のカタール・オープンは準々決勝まで進出した。全豪オープンは4回戦で敗れた。しかし2月3日付の世界ランキングでは100位以下になった。それでもBNPパリバ・プリムローズ・ボルドー(チャレンジャー)での優勝やニース・オープンでの決勝進出など、クレーシーズンでは一定の結果を残した。主催者推薦での出場になった2013年全仏オープンでは1回戦で第5シードのトマーシュ・ベルディハを7-6(8) , 6-4, 6-7(3), 6-7(4), 7-5のフルセットで破る波乱を起こした。上海マスターズでは3回戦でフェデラーを破り、準々決勝まで進出した。年間最終ランキングは31位まで戻った。

2014年 ツアー5勝目

2014年全仏オープンでは3年ぶりにベスト8進出。準々決勝でアンディ・マリーに敗れた。 2014年6月24日シングルス通算300勝達成。 全米オープンでも4回戦で第7シードのグリゴール・ディミトロフに7-5, 7-6(5), 7-5でストレート勝ち。準々決勝でフェデラーから第1セットと第2セットを奪うも6-4, 6-3, 4-6, 5-7, 2-6で敗れた。 デビスカップ2014でもデビスカップフランス代表として、決勝のスイス戦でフェデラーに6-1, 6-4, 6-3で勝利したが、フランスはスイスに敗れた。

2015年 トップ15復帰

2015年モンテカルロ・マスターズは第14シードで出場。アンドレイ・クズネツォフアレクサンドル・ドルゴポロフを破り、3回戦では第2シードのロジャー・フェデラーにストレート勝ち。準々決勝で第9シードのディミトロフを破って自身大会初のベスト4入りするもベルディハに敗れた。

2016年 全米ベスト4 全豪ベスト8 ATPファイナルズ初出場 世界6位

全豪オープンでは初めてベスト8に進出。準々決勝でミロシュ・ラオニッチに3-6, 6-3, 3-6, 4-6で敗れた。2月のABNアムロ世界テニス・トーナメントでの準優勝、3月のBNPパリバ・マスターズマイアミ・オープンのベスト8など好調を維持。4月のモンテカルロ・マスターズでは準決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガとのフランス対決を制し、マスターズでは6年ぶり3度目の決勝進出を果たす。決勝でラファエル・ナダルに5-7, 7-5, 0-6で敗れ、マスターズ3度目の準優勝となった。

7月のシティ・オープンでは決勝でイボ・カロビッチを5–7, 7–6(6), 6–4で破り、ATPワールドツアー・500シリーズで初優勝を果たした。ロジャーズ・カップでは準々決勝で第3シードのラオニッチを破ってベスト4。

2016年シティ・オープンでのガエル・モンフィス

リオ五輪では北京五輪以来シングルスでベスト8に進出。準々決勝で第4シードの錦織圭に3本のマッチポイントを握りながら6-7(4), 6-4, 6-7(6)の逆転で敗れた。

全米オープンでは2年ぶり3回目のベスト8に進出すると、準々決勝でフランスの後輩リュカ・プイユに6-4, 6-3, 6-3で勝利し、ベスト4に進出。準決勝でジョコビッチに3-6, 2-6, 6-3, 2-6で敗れた。大会後の世界ランキングで8位となり、2011年11月以来4年10か月ぶりにトップ10復帰を果たす。

10月には自身初のATPワールドツアー・ファイナルズの出場が決定。11月7日付の世界ランキングで自己最高の6位となった。初出場のATPワールドツアー・ファイナルズでは初戦ラオニッチに3-6, 4-6で、第2戦ドミニク・ティームに3-6, 6-1, 4-6で敗北。怪我のため第3戦を前に棄権した[1]。年間最終ランキングは7位。

2017年 ツアー通算400勝

全豪オープンでは第6シードとして出場して、2年連続で4回戦に進出するもナダルに3-6, 3-6, 6-4, 4-6で敗れた。オープン13ではリシャール・ガスケに、バルセロナ・オープンではフェルナンド・ベルダスコに準々決勝で敗退。BNPパリバ・オープンでは4回戦でドミニク・ティエムに敗れた。

BMWオープンでは鄭現マドリード・マスターズではジル・シモンにそれぞれ初戦敗退した。第15シードで出場した5月30日の全仏オープン1回戦に勝利したことで、通算400勝達成[2]。その後は4回戦まで進出するも、第3シードのスタン・ワウリンカに5-7, 6-7(7), 2-6のストレートで敗れた。

ハレ・オープンではリシャール・ガスケに初戦敗退したが、イーストボーン国際では決勝進出。決勝ではノバク・ジョコビッチに敗れて、準優勝。ウィンブルドン選手権では3回戦で同胞のアドリアン・マナリノに6-7(3), 6-4, 7-5, 3-6, 2-6のフルセットの熱戦で敗れて、4回戦進出を逃した。

ロジャーズ・カップでは2回戦で第5シードの錦織圭に初勝利し、久しぶりにトップ10から勝利を挙げたが(通算3勝62敗)、3回戦でロベルト・バウティスタ・アグートに敗退した。 ウエスタン・アンド・サザン・オープンは試合前に欠場。迎えた全米オープンでは3回戦まで進出するも、ダビド・ゴファン戦で5-7, 1-5の時点で途中棄権し、シーズン終了を発表。2017年は6大会で棄権し、ベスト16より先に進んだ大会が3大会しかない苦しいシーズンとなった。年間最終ランキングは46位。

2018年 ウィンブルドン4回戦進出

2018年ウィンブルドン選手権でのガエル・モンフィス

カタール・エクソンモービル・オープンでは決勝でアンドレイ・ルブレフに勝利して優勝して、ツアー8勝目を挙げた。全豪オープンでは2回戦で第14シードのノバク・ジョコビッチに6-4, 3-6, 1-6, 3-6で敗れて、同カード15連敗を喫することとなった[3]エクアドル・オープンでは準々決勝で敗退。アルゼンチン・オープンではベスト4入りをしてドミニク・ティエムに敗れた。リオ・オープンでもベスト8するもディエゴ・シュワルツマンに敗れた。BNPパリバ・オープンでは3回戦まで進出するも、ピエール=ユーグ・エルベール戦で2-6, 1-3の時点で途中棄権。

マドリード・オープンでは2回戦でラファエル・ナダルに敗退。BNLイタリア国際では1回戦でファビオ・フォニーニに、リオ・オープンではマクシミリアン・マーテラーに初戦敗退。全仏オープンでは第32シードとして出場し、3回戦で第4セットでマッチポイントを握ったにもかかわらずダビド・ゴファンに7-6(8), 3-6, 6-4, 5-7, 3-6のフルセットで惜敗した。

アンタルヤ・オープンではベスト4入りするも、同胞のアドリアン・マナリノに敗れたが、ウィンブルドンでは1回戦で第23シードの同胞リシャール・ガスケにストレートで勝利。2回戦ではパオロ・ロレンツィを破る。3回戦では当時世界1位のアンディ・マリーを下して、昨年ベスト4入りした第11シードのサム・クエリーを5-7, 6-4, 6-4, 6-2で破り、ウィンブルドン初の4回戦進出。4回戦では第8シードのケビン・アンダーソンに敗れた。全米オープンは2回戦で錦織圭と対戦したが、試合中に右手首を負傷して2-6, 4-5の時点で途中棄権した。復帰戦となるOECオープン(チャレンジャー)では優勝を飾った。

その後の成都オープンチャイナ・オープン上海マスターズの3大会で初戦敗退したが、ヨーロピアン・オープンは決勝進出して、決勝でカイル・エドマンドに敗れて、準優勝。エルステ・バンク・オープンでは準々決勝のフェルナンド・ベルダスコ戦を途中棄権して、シーズン終了。年間最終ランキングは29位。

2019年 全米ベスト8 トップ10復帰

2019年全仏オープンでのガエル・モンフィス

全豪オープンは第30シードとして出場し、2回戦でテイラー・フリッツに敗退した。2月のABNアムロ世界テニス・トーナメントの決勝では、スタン・ワウリンカを破り優勝した[4]。3月のBNPパリバ・マスターズではベスト8入りするも準々決勝は左足の痛みにより棄権。

5月下旬に開催された全仏オープンでは第14シードとして出場。4回戦まで全てストレートで進出し、4回戦ではドミニク・ティームに4-6, 4-6, 2-6のストレートで敗れた。その後の芝のシーズンに入り、早期敗退が続き、ウィンブルドンでは第16シードとして出場したが1回戦でウゴ・アンベールに7-6(6), 6-3, 4-6, 5-7, 0-3の時点で棄権し、初戦敗退。8月のロジャーズ・カップではロベルト・バウティスタ・アグートを下してベスト4入りしたが、足首の負傷で準決勝を棄権した。

全米オープンでは第13シードとして出場。1、2回戦をストレートで勝ち上がり、3回戦ではデニス・シャポバロフに6-7(5), 7-6(4), 6-4, 6-7(6), 6-3の熱戦の末に勝利を収めた。4回戦をストレートで勝利し、3年ぶりのベスト8入りを果たす。準々決勝では第24シードのイタリアの新星マッテオ・ベレッティーニに6-3, 3-6, 2-6, 6-3, 6-7(5)の大熱戦の末に敗れ、2016年以来のベスト4入りを逃した。その後は目立った結果を残せないままツアー終盤に突入。パリ・マスターズでベスト8入りすると、試合後の世界ランキングで10位に復帰した。ATPファイナルズは8人目のメンバーにあと140ポイント足らずに補欠2番手となり、2016年以来の最終戦出場は叶わなかった。年間最終ランキングは10位。

2020年 ツアー10勝目

ATPカップにはフランス代表のエースとして出場。チリ戦ではクリスチャン・ガリンに勝利するも、セルビア戦ではノバク・ジョコビッチに敗退。結果は1勝2敗でラウンドロビン敗退。

全豪オープンは第10シードとして出場し、順当に4回戦進出。4回戦ではドミニク・ティエムに2-6, 4-6, 4-6で敗れた。その直後の南フランス・オープンでは決勝でバセク・ポシュピシルを7-5, 6-3で破り、ABNアムロ世界テニス・トーナメントでは決勝でフェリックス・オジェ=アリアシムを6-2, 6-4で破り、2週連続優勝を果たした[5]全仏オープンでは第8シードとして出場したが、1回戦でアレクサンダー・ブブリクに4-6, 5-7, 6-3, 3-6で初戦敗退。最終ランキングは11位。

2021年 ツアー通算500勝

2021年全仏オープンでのガエル・モンフィス

全豪オープンに第10シードとして出場。1回戦でエーミル・ルースヴオリにフルセットで初戦敗退。リヨン・オープン初戦ではラッキールーザーのチアゴ・ザイボチ・ヴィウチを7-5, 6-4で破り、2020年からの初戦7連敗を食い止め、約1年半ぶりの白星を挙げた。全仏オープンではアルベルト・ラモス=ビノラスを破り、初戦突破。2回戦ではマイケル・イマーに敗れた。ウィンブルドン選手権では初戦突破するも、2回戦でペドロ・マルティネスに敗れた。

東京2020オリンピックではフランス代表として出場。シングルスは初戦敗退。ダブルスはジェレミー・シャルディーと組み、初戦突破するも、2回戦でドイツ代表のA・ズベレフ/ストルフ組に敗れた。

ナショナル・バンク・オープンではベスト8入り。準々決勝ではジョン・イズナーに敗れた。ウエスタン・アンド・サザン・オープンではアレックス・デミノーをストレートで破り、ツアー通算500勝を記録した。3回戦でアンドレイ・ルブレフに6-7(2), 6-7(5)で敗れた。全米オープンに第17シードで出場して、3回戦進出。3回戦でヤニック・シナーに6-7(1), 2-6, 6-4, 6-4, 4-6のフルセットの末敗退。10月のソフィア・オープンでは決勝進出。この決勝進出で17年連続でツアー決勝進出を記録したが、前年優勝のシナーに敗れ、準優勝を飾った。年間最終ランキングは21位。

2022年 全豪ベスト8 ツアー11勝目

10年間のパートナーシップを共にしたウィルソンアシックスと決別し、新たにフランススポーツメーカーであるArtengo英語版と5年間の契約を結んだ。

アデレード国際1ではすべてストレートで勝ち上がり、決勝でカレン・ハチャノフを6-4, 6-4のストレートで破り、ツアー11勝目を挙げたり全豪オープンでは6年ぶりに大会2度目のベスト8入り。準々決勝では初のベスト4入りをかけてマッテオ・ベレッティーニと対決するも、4-6, 4-6, 6-3, 6-3, 2-6のフルセットの末に敗れた。

BNPパリバ・オープンでは4回戦で第1シードのダニール・メドベージェフを4-6, 6-3, 6-1で下し、ベスト8入り。準々決勝ではカルロス・アルカラスに5-7, 1-6で敗退。マイアミ・オープンでは3回戦でフランシスコ・セルンドロ英語版に2-6, 3-6で敗れた。マドリード・オープンでは2回戦でノバク・ジョコビッチに3-6, 2-6で敗れ、今大会で右足首を負傷して3ヶ月もの間、ツアー離脱を余儀なくされた。復帰戦となったナショナル・バンク・オープンでは3回戦のジャック・ドレイパー戦で2-6, 2-0の時点で右手首の負傷で途中棄権。年間最終ランキングは52位。

2023年 ツアー12勝目

2023年シティ・オープンでのガエル・モンフィス

3月、BNPパリバ・オープンにて、7ヶ月ぶりにツアー復帰。ジョーダン・トンプソンに3-6, 1-6のストレートで初戦敗退。マイアミ・オープンでは同胞のウゴ・アンベール戦で3-3の時点で途中棄権となった。

4月、スルプスカ・オープンではイジー・レヘチカに4-6, 3-6で初戦敗退。

5月、エクス=アン=プロヴァンス・チャレンジャー英語版では1回戦で第5シードのアンディ・マリーに3-6, 2-6のストレートで敗退。 リヨン・オープンではペドロ・カチン英語版に6-2, 3-6, 4-6の逆転で初戦敗退。全仏オープンでは1回戦でセバスティアン・バエスに3-6, 6-3, 7-5, 1-6, 7-5の3時間47分のフルセットの末勝利するも、試合中に負った手首の負傷のため、2回戦のホルガ・ルーネ戦を前に棄権を余儀なくされた。

7月、復帰戦となったアトランタ・オープンでは1回戦でタナシ・コキナキスに6-1, 3-6, 6-7(5)で逆転の黒星となった。

8月、シティ・オープンでは3回戦まで進めるも、タロン・フリークスポール英語版に4-6, 6-1, 3-6で敗退。ナショナル・バンク・オープンでは2回戦で第4シードのステファノス・チチパスを6-4, 6-3で破る活躍でベスト8入り。準々決勝では第7シードのヤニック・シナーに4-6, 6-4, 3-6で敗れた。続くウエスタン・アンド・サザン・オープンでも1回戦で第13シードのキャメロン・ノリーを3-6, 6-4, 6-3、2回戦ではアレックス・デミノーを7-5, 6-4で破る復調ぶりが垣間見えるも、3回戦では第2シードのノバク・ジョコビッチに3-6, 2-6の19連敗となった。全米オープンでは1回戦でダニエル太郎を4-6, 6-4, 6-2, 7-6(4)で勝利するも、2回戦では第8シードのアンドレイ・ルブレフから第3セットを奪う健闘を見せるもわ4-6, 3-6, 6-3, 1-6で敗れた。

9月、レーバーカップでは欧州代表として初参戦。ダブルスでホベルト・ホルカシュと組み、フェリックス・オジェ=アリアシム/ベン・シェルトン組に5-7, 4-6で敗れた。

10月、ストックホルム・オープンでは決勝進出。決勝でパーヴェル・コトフに4-6, 7-6(6), 6-3で破り、21ヶ月ぶりのタイトルを獲得。昨年8月に右足首を負傷し半年以上のツアー離脱を余儀なくされたが、嬉しい復活優勝となり、ツアー12勝目を挙げた。年始には世界ランキング200位台だったが、今回の優勝により、ランキングは90位までに復調した。

11月、パリ・マスターズではフランシスコ・セルンドロ英語版に6-4, 6-7(2), 5-7で初戦敗退。年間最終ランキングは74位。

2024年 ツアー通算550勝

全豪オープンでは1回戦でヤニック・ハンフマン英語版を6-4, 6-3, 7-5のストレートで破るも、2回戦でトマス・マルティン・エチェベリー英語版に4-6, 4-6, 4-6のストレートで敗れた。カタール・エクソンモービル・オープンではベスト4入り。準決勝ではヤクプ・メンシークに4-6, 6-1, 3-6で敗れた。BNPパリバ・オープンでは2回戦でホベルト・ホルカシュを6-0, 6-7(5), 6-2、3回戦でキャメロン・ノリーを6-7(5), 7-6(5), 6-3で下して、ベスト16入り。4回戦でキャスパー・ルードに6-3, 6-7(3), 4-6で敗れた。マイアミ・オープンでは2回戦でジョーダン・トンプソンを6-7(3), 6-1, 6-2で破ったことでツアー通算550勝を記録した。

エストリル・オープン2回戦ではマートン・フチョビッチに6-1, 1-6, 5-7で敗れたが、2024年4月8日付けの世界ランキングでトップ40復帰を果たした。

プレースタイル

抜群の身体能力と長い手足を生かしたコートカバーリングを持ち味とする守備型カウンターパンチャー。瞬発力や跳躍力もあり守備範囲が広い。フォアハンド・バックハンドもコンパクトで、ミスは少なく、隙があれば打ち込んでカウンターを決めることもできる。サーブは派手さはないが、コンパクトでコントロールの精度も高い。

相手の意表を突いたトリッキーなプレーやアクロバティックなプレーがとても人気があり、世界的にも「最も身体能力の高いアクロバティックな選手」と認識されている。モンフィスのスーパープレーはテニス界随一と評されており、パフォーマンスで観客をよく盛り上げる。YouTubeSNSでもモンフィスのスーパープレーがよく閲覧されている。

BIG4やトップ10選手になかなか勝てないため、グランドスラムマスターズ1000では現状の成績をなかなか更新できない。対ジョコビッチに対しては0勝16敗である。怪我で故障することやスランプになることも多く、不調時はサーブやストロークでのミスも目立つ。決勝の舞台でのプレッシャーからメンタル面での弱さも弱点の1つとして挙げられる。

ハード・クレーコートは好成績傾向だが、芝コートは成績不振であり、ウィンブルドン選手権でも4回戦(ベスト16)が最高成績である。[6][7]

私生活

2019年3月より、ウクライナ出身で女子世界ランキング最高3位を記録した女子プロテニス選手であるエリナ・スビトリナと交際を始めた。2021年4月に婚約を発表。自身のインスタグラムでハートの絵文字と共に「彼女は『イエス』と言ってくれた」と綴り、湖をバックにスビトリナが左手の薬指に婚約指輪をはめている写真を投稿[8]。同年7月に結婚した[9]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 34回 (12勝22敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ATPファイナルズ (0–0)
ATPツアー・マスターズ1000 (0–3)
ATPツアー500 (3–5)
ATPツアー250 (9–14)
サーフェス別タイトル
ハード (11–15)
クレー (1–5)
芝 (0–1)
カーペット (0–1)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2005年8月1日 ソポト クレー フロリアン・マイヤー 7-6(8-6), 4-6, 7-5
準優勝 1. 2005年10月9日 メス ハード (室内) イワン・リュビチッチ 6-7(7-9), 0-6
準優勝 2. 2005年10月30日 リヨン カーペット (室内) アンディ・ロディック 3-6, 2-6
準優勝 3. 2006年1月8日 ドーハ ハード ロジャー・フェデラー 3-6, 6-7(5-7)
準優勝 4. 2007年5月20日 ペルチャッハ クレー フアン・モナコ 6-7(3-7), 0-6
準優勝 5. 2008年10月4日 ウィーン ハード (室内) フィリップ・ペッシュナー 4-6, 4-6
準優勝 6. 2009年2月28日 アカプルコ クレー ニコラス・アルマグロ 4-6, 4-6
優勝 2. 2009年9月27日 メス ハード (室内) フィリップ・コールシュライバー 7-6(7-1), 3-6, 6-2
準優勝 7. 2009年11月15日 パリ ハード (室内) ノバク・ジョコビッチ 2-6, 7-5, 6-7(3-7)
準優勝 8. 2010年7月18日 シュトゥットガルト クレー アルベルト・モンタニェス 2-6, 2-1, 途中棄権
準優勝 9. 2010年10月10日 東京 ハード ラファエル・ナダル 1-6, 5-7
優勝 3. 2010年10月31日 モンペリエ ハード (室内) イワン・リュビチッチ 6-2, 5-7, 6-1
準優勝 10. 2010年11月14日 パリ ハード (室内) ロビン・セーデリング 1-6, 6-7(1-7)
準優勝 11. 2011年8月7日 ワシントンD.C. ハード ラデク・ステパネク 4-6, 4-6
優勝 4. 2011年10月23日 ストックホルム ハード (室内) ヤルコ・ニエミネン 7-5, 3-6, 6-2
準優勝 12. 2012年1月7日 ドーハ ハード ジョー=ウィルフリード・ツォンガ 5-7, 3-6
準優勝 13. 2012年2月5日 モンペリエ ハード (室内) トマーシュ・ベルディハ 2-6, 6-4, 3-6
準優勝 14. 2013年5月25日 ニース クレー アルベルト・モンタニェス 0-6, 6-7(3-7)
準優勝 15. 2013年8月24日 ウィンストン・セーラム ハード ユルゲン・メルツァー 3-6, 1-2, 途中棄権
準優勝 16. 2014年1月4日 ドーハ ハード ラファエル・ナダル 1-6, 7-6(7-5), 2-6
優勝 5. 2014年2月9日 モンペリエ ハード (室内) リシャール・ガスケ 6-4, 6-4
準優勝 17. 2015年2月22日 マルセイユ ハード (室内) ジル・シモン 4-6, 6-1, 6-7(4-7)
準優勝 18. 2016年2月14日 ロッテルダム ハード (室内) マルティン・クリザン 7-6(7-1), 3-6, 1-6
準優勝 19. 2016年4月17日 モンテカルロ クレー ラファエル・ナダル 5-7, 7-5, 0-6
優勝 6. 2016年7月24日 ワシントン ハード イボ・カロビッチ 5-7, 7-6(8-6), 6-4
準優勝 20. 2017年7月1日 イーストボーン ノバク・ジョコビッチ 3-6, 4-6
優勝 7. 2018年1月6日 ドーハ ハード アンドレイ・ルブレフ 6-2, 6-3
準優勝 21. 2018年10月21日 アントワープ ハード (室内) カイル・エドマンド 6-3, 6-7(2-7), 6-7(4-7)
優勝 8. 2019年2月17日 ロッテルダム ハード (室内) スタン・ワウリンカ 6-3, 1-6, 6-2
優勝 9. 2020年2月9日 モンペリエ ハード (室内) バセク・ポシュピシル 7-5, 6-3
優勝 10. 2020年2月16日 ロッテルダム ハード (室内) フェリックス・オジェ=アリアシム 6-2, 6-4
準優勝 22. 2021年10月3日 ソフィア ハード (室内) ヤニック・シナー 3-6, 4-6
優勝 11. 2022年1月9日 アデレード1 ハード カレン・ハチャノフ 6-4, 6-4
優勝 12. 2023年10月22日 ストックホルム ハード (室内) パーヴェル・コトフ 4-6, 7-6(8-6), 6-3

成績

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

グランドスラム

大会 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024 通算成績
全豪オープン A 2R 1R 3R A 4R 3R 3R 3R 3R 3R 2R QF 4R 2R 2R 4R 1R QF A 2R 34–18
全仏オープン Q1 1R 4R 3R SF QF 2R QF A 3R QF 4R A 4R 3R 4R 1R 2R A 2R 2R 39–16
ウィンブルドン A 3R 1R 3R A A 3R 3R A A 2R 3R 1R 3R 4R 1R NH 2R A A 3R 19–13
全米オープン A 1R 2R A 4R 4R QF 2R A 2R QF 1R SF 3R 2R QF A 3R A 2R 2R 33–16

大会最高成績

大会 成績
ATPファイナルズ RR 2016
インディアンウェルズ QF 2016, 2019
マイアミ QF 2016
モンテカルロ F 2016
マドリード QF 2008, 2010
ローマ SF 2006
カナダ SF 2016, 2019
シンシナティ QF 2011
上海 QF 2013
パリ F 2009, 2010
オリンピック QF 2008, 2016
デビスカップ F 2010, 2014
ATPカップ RR 2020, 2021

脚注

  1. ^ モンフィス ファイナルズ棄権”. news.tennis365.net (2016年11月17日). 2019年2月20日閲覧。
  2. ^ モンフィス 通算400勝達成”. news.tennis365.net (2017年5月31日). 2021年10月2日閲覧。
  3. ^ 対ジョコビッチの通算は0勝15敗。
  4. ^ モンフィスがキャリア8勝目、ワウリンカは膝の故障から復帰して以来の準優勝 [ABN AMROワールド・テニス]”. tennismagazine.jp. 2019年2月20日閲覧。
  5. ^ 33歳モンフィス、ABNアムロ連覇で2週連続V GS優勝の夢諦めず”. www.afpbb.com. 2020年2月17日閲覧。
  6. ^ 「享楽型」モンフィスとフェデラーの因縁 全米オープンテニス”. スポーツナビ. 2019年2月20日閲覧。
  7. ^ Wiedeman, Reeves (2011年9月2日). “Gael Monfils and Losing In Style”. https://www.newyorker.com/sports/sporting-scene/gael-monfils-and-losing-in-style 
  8. ^ モンフィスとスビトリーナが婚約を報告、互いに“私たちの永遠の始まりに”と綴る”. tennisclassic.jp. 2022年2月5日閲覧。
  9. ^ モンフィス&スビトリーナが結婚、挙式の写真を公開”. tennisclassic.jp. 2022年2月5日閲覧。

外部リンク

受賞
先代
ITFジュニアワールドチャンピオン
2004
次代
ドナルド・ヤング
先代
フロリアン・マイヤー
ATP年間最優秀新人賞
2006
次代
ベンヤミン・ベッカー




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