カンブレーの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:37 UTC 版)
「西部戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「カンブレーの戦い」の解説
イギリス軍は11月20日にカンブレーの戦いにおいて、世界初となる大規模な戦車の投入を行った。2個師団のドイツ軍に対して合計324台もの戦車が使用された。奇襲攻撃を重視したため、事前砲撃は行われず、煙幕をはって戦車の進撃をカモフラージュした。塹壕と幅4メートルほどの対戦車壕を乗り越えるために、戦車の上面には木材が備えられていた。第51スコティッシュ・ハイランド師団を除いた師団による攻撃は成功を収め、4ヶ月間のイーペル戦で占領できなかった地点までたった6時間で到達した。損害は4,000名であり、攻勢計画としては極めて少ないものであった。 この攻撃によって形成された突起部は11月30日のドイツ軍の反撃で奪い返された。しかし戦車の有用性がはっきりと認識され、これ以後の戦闘では戦車を中心とした戦術が採用される事になった。一方ドイツ軍は、この戦闘で西部戦線としては初めて突撃歩兵による浸透戦術を使用した。この戦術は第二次世界大戦に機甲師団が登場するまで、歩兵戦術の基本と見なされていた画期的なものである。
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