カルロス (アストゥリアス公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 21:50 UTC 版)
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ドン・カルロス・デ・アウストリア Don Carlos de Austria |
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アストゥリアス公 | |
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晩年のドン・カルロス・デ・アウストリア
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在位 | 1556年 - 1568年 |
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称号 | ジローナ公、ビアナ公 スペイン王子、ポルトガル王子 |
出生 | 1545年7月8日![]() |
死去 | 1568年7月24日(23歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
家名 | スペイン・ハプスブルク家 |
父親 | スペイン王フェリペ2世 |
母親 | マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル |
ドン・カルロス・デ・アウストリア(Don Carlos de Austria, 1545年7月8日 - 1568年7月24日)は、スペインの王太子、アストゥリアス公。父はスペイン王フェリペ2世、母はポルトガル王女マリア・マヌエラでその長男。フェリペ3世の異母兄にあたる。
なお、スペイン・ハプスブルク家がスイス北東部(バーゼル近郊)のライン川上流域からドイツ南西部のバーデン地方を発祥とすることから、ドイツ語でカール・フォン・アストゥリエン(Karl von Asturien)と表記されることもある。
概要
当時のボヘミア大使の手紙によると「カルロスは肩の高さが違い、右足が左足より長く、頭が大きすぎる。胸はくぼみ、背中にこぶがある。まるで子供のように愚かしい質問ばかりする。高尚なことに興味を示したことはなく、食べることにしか関心がない。際限なく食べ続けているので、よくいろいろな病気にかかり、顔色はひどく悪く、長生きはできないだろう」とある。[要出典]
父に反逆してネーデルランドに行こうとして逮捕監禁され、23歳で牢死した。
フランス国王アンリ2世の娘エリザベート・ド・ヴァロワと婚約していたが、父王フェリペ2世がエリザベートを3人目の王妃とした。カルロスの死の数か月後に、エリザベートは亡くなっている。
八十年戦争中のネーデルラントへの逃亡など、歴史的には実証されていないが、シラーの戯曲『ドン・カルロス』やヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』で、エリザベートへの悲恋というフィクションが作り上げられ、悲劇的人物として知られる。
参考文献
- ランケ『ドン・カルロス』("Don Carlos", 1829年)
- L.P.Gachard "Don Carlos et Philippe II"(1863年)
- Cesare Giardini "Don Carlos. Infant von Spanien"(1994年)
アストゥリアス公カルロスを題材とした作品
関連項目
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「カルロス (アストゥリアス公)」の例文・使い方・用例・文例
- カルロスは少しまった。
- カルロスは振り返った。
- カルロスは出て行き本を持って戻ってきました。
- カルロスは山を登った。
- カルロスという名の男がその老人を探してある山深い村へやってきました。
- スペインのカルロス二世は心身共に欠陥があった.
- 日産のカルロス・ゴーン社長兼CEOは,「リーフは現実社会の電気自動車だ。二酸化炭素の排出ゼロを実現している。これは新時代への第一歩だ。」と話した。
- 日産のカルロス・ゴーン社長は,これらの車は常識にとらわれない発想の表れであると語った。
- 日産自動車のカルロス・ゴーン社長は先日,ブータンの首都ティンプーを訪れた。
- 日産自動車のコンセプトカー「ニッサンIDSコンセプト」が,同社のカルロス・ゴーン社長によって紹介された。
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