カナリアス級とは? わかりやすく解説

カナリアス級重巡洋艦

(カナリアス級 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 06:24 UTC 版)

カナリアス級重巡洋艦
艦級概観
艦種 重巡洋艦
艦名 地名
前級 プリンセサ・デ・アストゥリアス級
次級 -
性能諸元
排水量 基準:1万670トン
満載:1万3200トン
全長 193.8 メートル (m)
水線長 192.2 m
全幅 19.5 m
吃水 常備:5.3 m
満載:6.5 m
機関 ヤーロー重油専焼三胴缶8基
+パーソンズギヤードタービン4基2軸推進
最大出力 9万馬力
最大速力 33.0ノット
航続距離 15ノット/8000海里
燃料 重油:2588トン
乗員 1042名
兵装 1924年型 20.3cm(50口径)連装砲4基
1935年型 12cm(45口径)単装高角砲8基
40mm(60口径)機関砲8~12門
20mm機銃3丁
53.3cm三連装水上魚雷発射管4基12門
装甲 舷側:51mm
甲板:38mm
主砲塔:25mm(前盾)、25mm(側盾)、-mm(後盾)、70mm(天蓋)
火薬庫:114mm
司令塔:-mm
航空兵装 水上機-機

カナリアス級重巡洋艦 (英語: Canarias-class cruiserスペイン語: Crucero Pesado Clase Canarias) とは[注釈 1]スペイン海軍戦間期に計画した重巡洋艦の艦級で、2隻が就役した[注釈 2]。設計技師はアームストロング・ホイットワースフィリップ・ワッツである[注釈 3]イギリス海軍ケント級重巡洋艦カウンティ級重巡洋艦)をタイプシップとした艦型である[3]。本級はスペイン海軍が1926年度計画により建造し、第二次世界大戦前に竣工させた最初で最後の条約型巡洋艦となった[4][注釈 4]

スペイン内戦では反乱軍(ナショナリスト派)に所属し、2番艦バレアレス (Baleares) は1938年3月6日にパロス岬沖海戦で撃沈された[1][5]ネームシップカナリアス (Canarias) は第二次世界大戦終結後に幾度か実施した改装で、集合煙突から二本煙突を採用し、艦容が大きく変化した[1]。1975年まで在籍した[6]

建造までの経緯

スペイン海軍は1908年米西戦争の敗北から、非効率な海軍工廠をイギリスの資本により復活させた。1909年より弩級戦艦エスパーニャ級」を建造してから軍艦の建造に於いては設計・資材・兵装はイギリスより購入し、建造・組み立てはスペイン国内で行うという方針で海軍艦艇の建造をおこなう。巡洋艦もその例に漏れず、いずれもイギリス海軍軽巡洋艦から影響を受けた[注釈 5]

1926年海軍計画において重巡洋艦3隻の建造が承認されたが、後に2隻のみ建造に改められた。

艦形

船体形状はイギリス条約型重巡洋艦の流れを汲む、水面から乾舷が高い典型的な平甲板型船体である。船体形状は船体長を長くとり、船体の幅を抑えて水の抵抗を抑える形状で、これは少ない機関出力でも高速を出しやすい形状とした。また、乾舷が高いということは外洋航行時の凌波性にも良好な性質が出るので巡洋艦には最適な艦形であった。本級の設計においては、ケント級よりも顕著で全長は4m程長く、幅は1.3m狭くなっていた。

上部構造物では。艦橋構造はケント級重巡洋艦で採用された塔型艦橋である。操舵艦橋を前方に張り出したタイプシップと異なる設計である。また、この時代の英国軍艦としては珍しく集合煙突を採用しているのが大きな特徴である。無論、集合煙突の採用自体は列強では珍しくはないが、重巡洋艦で外見でそれと判るように煙突を纏めたのは大日本帝国海軍くらいで、他国は結合した煙路を船体内に隠すか煙突の下部のみ露出させるのが一般的であった。しかし、本級では甲板上で2本の煙突を途中で結合させた特異な形状をしており、2つ目の外観上のポイントとなっている。元来、イギリス海軍は自国艦は保守的に、海外に輸出する艦では新機軸をテストする傾向が強かったが、本級もそれに倣ったものである。

外観

近代化改装後のカナリアス

僅かにシア(甲板の反り返り)の付いた艦首甲板から「1924年型 Mark D 20.3cm(50口径)砲」を連装式の砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基配置された。2番煙突の基部から上部構造物が開始し、塔型艦橋の背後に簡素な単脚式の前部マストが立つ。

前述の結合煙突の周囲から後方にかけて艦載艇置き場があり、煙突の後方に立つ後部マストについたクレーン1基により運用された。舷側甲板上には対空火器として「1935年型 12cm(45口径)高角砲」を単装砲架で片舷に4基ずつ等間隔に配置し計8基を搭載した。後部甲板上に3・4番主砲塔が後ろ向きに背負い式で2基を配置した。

本級の魚雷兵装は特色があり、後檣付近の船体内に53.3cm三連装魚雷発射管を固定式で片舷2基ずつ計4基搭載した。

2番艦「バレアレス」は設計時に小改良されて建造時から煙突にファンネルキャップが付けられ、艦橋の頂上部後方に測距儀が配置されていたのが外観上の識別点である。

第二次世界大戦後の1952年から1953年にかけて「カナリアス」はエル・フェロル工廠で近代化改装が行われ、艦橋に射撃指揮装置が追加されて前部のマストは三脚化した。特徴的な集合煙突は普通の2本煙突に交換された。後にレーダーを装備した時に前後のマストはさらに大型化して前後とも三脚マストに交換された。

兵装

主砲

本級の主砲塔と同型のカウンティ級重巡洋艦「シュロップシャー」の主砲塔。

主砲はイギリス製の「1924年型 Mark D 20.3cm(50口径)砲」を採用してタイプシップと同様に連装砲塔で4基を搭載した。その性能は重量116kgの砲弾を仰角49度で2万9750 mまで届かせられた。砲塔の旋回は首尾線方向を0度として左右120度で、俯仰角度は仰角70度・俯角5度でケント級と同じく一応は対空射撃も考えられてはいるが、装填角度は8度で発射速度が毎分3発程度では対空射撃は無効に近かった。

高角砲、その他の備砲

高角砲は新設計の「1935年型 12cm(45口径)高角砲」を採用した。その性能は22kgの砲弾を仰角45度で最大射程2万 mを、最大仰角80度で最大射高9750 mまで届かせることができた。これを単装砲架で8基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角80度・俯角5度で旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていた。砲の旋回、砲身の上下・砲弾の装填の動力は人力を必要とした。発射速度は毎分15~20発である。他に近接火器としてスウェーデンはボフォースの「4cm(60口径)機関砲」を連装砲架で4基、2cm(65口径)機銃を3丁備えていた。

バレアレス

また、バレアレスは工期の遅れから就役時には射撃指揮装置と4番主砲塔が未搭載で高角砲も届かなかったためにチュルカ級駆逐艦の主砲である「ヴィッカース 12cm(45口径)速射砲」を流用して防盾付きの単装砲架で4基と対空火器として「OTO 10cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基を搭載され、近接火器として「ヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲」を単装砲架で4基を搭載して就役した。1937年6月にカディスで射撃指揮装置と4番主砲塔を搭載した時に10cm高角砲4基を撤去してヴィッカース 12cm速射砲を8基にした。更に11月に4cmポンポン砲を撤去し、代わりにドイツから輸入した「クルップ 8.8cm(45口径)高角砲」を単装砲架で4基搭載した。

機関

機関配置は前に缶室、後ろにタービン室を置く全缶全機配置で、被害時にはボイラーか機関が全滅する可能性の高い生存性の低い配置である。ボイラー配置はボイラー4基を2室に別けて配置したために本来は2本煙突となるはずが甲板上で結合させたために不恰好な結合煙突となっている。これは運用性能が悪かったのか、竣工後の1952年の近代化改装で普通の直立型2本煙突に改修された。機関はパーソンズギヤード・タービンを4基を搭載するが、ここから変っており2基を1軸ずつ纏めて2軸推進を採っていた。1万トン級で2軸推進というのは条約型重巡洋艦でも珍しく(タイプシップであるケント級重巡洋艦は4軸推進)、ここでもイギリスの実験艦的設計が光っている。機関出力はヤーロー式重油専焼缶8基とパーソンズ式ギヤードタービン4基2軸推進により「カナリアス」が1934年の公試において最大出力9万1299馬力で速力33.69ノットを発揮し、常用9万馬力で速力33ノットとされた。航続距離は15ノットで8000海里であった。

防御

元設計のイギリス巡洋艦は船体防御よりも航続距離と航海中の乗員の快適性を重視するイギリス式設計のために防御能力は諸外国に比べて劣っていたが、本級は間接防御を重視した設計を採っていた。バロス岬沖海戦では、夜戦で魚雷数本を被雷した「バレアレス」が航行不能になったものの轟沈には到らず、翌朝まで持ちこたえている[注釈 6]

装甲厚は舷側の水線部は最大厚は元設計の倍の51mm装甲を弾薬庫の側面に張っており、他の部分は38mm装甲が張られた。舷側は下方に向かって傾斜していたために傾斜装甲となりカタログ値よりも防御効果は上がっていた。水線下は1層式の水雷防御の外側にバルジを設けていた。水密区画は艦底部の二重底と接続されていた。甲板防御は最上甲板に38(19+19)mm装甲を張っていた。主砲塔の防御は前盾・側面・後盾・天蓋・バーベットすべて25mmであった。唯一として前部・後部火薬庫のみ側面に102~114mmもの装甲を張り、天蓋には75mm装甲で覆っていた。司令塔は25mmであった。

艦歴

2隻ともSECNフェロル工廠で建造された[9]。1番艦「カナリアス」は1928年8月15日に「バレアレス」とともに起工した。スペイン国内の政情不振のために海軍予算の削減が相次ぎ、工期は延期に延期を重ね、1931年5月にようやく進水式を行った。それでも竣工まで5年の歳月を要し、1936年9月に竣工した。2番艦「バレアレス」は1932年4月28日に進水式を行い、1936年12月28日に竣工した。

しかし、両艦とも計画通りに竣工せず、「カナリアス」は竣工時に12cm(45口径)高角砲の製造が間に合わず仮設に10.2cm(45口径)単装高角砲を搭載し、「バレアレス」は主砲塔の組み立てが遅延し、竣工時は4番砲塔が未搭載であった。両艦ともに、公試が終った頃はスペイン内戦の真っ最中であり、艤装を行っていたフェロル海軍工廠をフランシスコ・フランコ将軍率いる右派の反乱軍が接収したことにより、結果的に本級2隻は反乱海軍スペイン語版に属して行動することになった。

「カナリアス」は竣工後の12月にはソ連の軍事援助物資を積んだ商船「コムソマール」を撃沈、翌年3月には軽巡洋艦「アルミランテ・セルベラ」と共にジブラルタルを抜けてスペイン共和国海軍スペイン語版政府海軍)の「グラヴィナ」「アルミランテ・フェルナンデス」を攻撃、「アルミランテ・フェルナンデス」を撃沈、「グラヴィナ」を損傷させ避退させた。この海戦により反乱海軍はスペイン西南部の制海権を得た。一方、「バレアレス」は1937年9月に政府軍の援助物資を積んだ輸送船団を襲撃。しかし、政府軍軽巡洋艦「リベルタード[注釈 7]メンデス・ヌソス」2隻と駆逐艦7隻と、強力な布陣に阻まれた「バレアレス」は返り討ちにあう。「リベルタード」に命中弾を出すも、「バレアレス」も損傷して撤退を余儀なくされた[注釈 8]シェルシェル岬沖海戦)。

この後も「カナリアス」は数々の武勲を立てたが、対照的に姉妹艦「バレアレス」は武勲にも運命にも恵まれなかった。1938年3月6日未明に生起したパロス岬沖海戦で、反乱海軍は巡洋艦3隻(バレアレス、カナリアス、セルベラ)を中核に、再び「リベルタード」[注釈 9]を含む政府軍の軽巡2隻および駆逐艦5隻に夜戦を挑んだ。旗艦「バレアレス」は探照灯を向けたので目立ってしまい、政府海軍の魚雷攻撃に遭う。魚雷2本乃至3本が前部主砲付近に命中して「バレアレス」は航行不能となり、マヌエル・ビエルナスペイン語版提督は麾下艦艇に退避を命じて自身は戦死した。イギリス海軍が救援にかけつけ、駆逐艦ケンペンフェルト」と駆逐艦ボレアス」に救助された[13]。 なおスペイン共和国空軍スペイン語版の爆撃機が沈没寸前の「バレアレス」と救助作業中のイギリス駆逐艦を爆撃し[注釈 6]、「ボレアス」で戦死者1名を出した[注釈 10][注釈 11]。姉妹艦を失った「カナリアス」は無傷のまま数々の武勲と共に内戦を勝ち抜いた。

1941年(昭和16年)5月27日ライン演習作戦により大西洋へ出撃したドイツ海軍 (Kriegsmarine) の戦艦ビスマルク」はイギリス海軍包囲されて撃沈された[15]ドイツ軍西部管区司令部からの要請により、カナリアスがビスマルクの支援にむかう[16]5月30日、カナリアスは洋上でドイツ気象観測艦ザクセンヴァルト英語版ドイツ語版と遭遇した[注釈 12]。その後、カナリアスはビスマルクの戦死者2名を回収し、水葬に伏した[注釈 13]

出典

注釈

  1. ^ 〔スペイン海軍〕 カナリアス級重巡洋艦[1] 内戦で活躍したスペイン唯一の条約型重巡 
  2. ^ 西班牙 一等巡洋艦カナリア(一九三四年竣工)[2] 基準排水量一二二三〇噸、時速三三節。同型にバレァシスあり。バ級二巡洋艦の一隻。
  3. ^ ワッツ技師はプリンシペ・アルフォンソ級軽巡洋艦の設計も担当した。
  4. ^ スペイン海軍はワシントン海軍軍縮条約を批准していないため条約制限は課せられていなかったが、スペイン海軍が使用可能なドックの規模により結果的に条約範囲内に排水量が収まる形となった。
  5. ^ 〔スペイン海軍〕 スペインの軽巡洋艦「レイナ・ヴィクトリア・ウーヘイニア」/メンデス・ヌネス級プリンシペ・アルフォンソ級[7] イギリス艦を原型とする3級7隻のスペイン軽巡洋艦 
  6. ^ a b (六日バルセロナ發)[8] 革命軍艦隊がカルタヘナ沖四十哩で政府軍艦隊と交戰、何ヶ月振かで海上戰を演じたが六日午前十一時二十分政府軍巡洋艦レパント號より發射せる魚雷は敵巡洋艦バレアルス號に命中し、同艦は沈没に瀕しつつあり、艦體引揚げ並に乗組員救助のため僚艦カナリアス、アルミランテ・セルベラ二隻が必死の作業をなしてゐるがなほ次の如きコンニユニケが政府より發表された 革命軍艦隊第二列陣航行中突如バレアルス號に一大爆發起つたが、其後拂暁政府軍爆撃機七機現場上空に赴きたるところ遼艦七隻に取圍まれ居るを見たり、よつて爆撃機は更にバレアルス號に爆彈を投下したるが、概艦近邊に爆彈落下せり(記事おわり)
  7. ^ 竣工時はプリンシペ・アルフォンソ級軽巡洋艦ネームシップだったが、1931年に「リベルタード」へ改名していた[10]
  8. ^ (十四日ジブラルタル發)[11] 革命軍巡洋艦バレアレス號はアルジールス沖で大破損をなしカーヂスで修理中であるが中部に大きな穴があき、艦首にも小さな穴があり、煙突も破壊されてゐると(記事おわり)
  9. ^ (バルセロナ十六日同盟)[12] スペイン赤色政權所属巡洋艦=ベルタ號(七八五〇トン)及びメンデス・スーニエス號)は六日早朝ボロル岬沖合においてフランコ軍巡洋艦バレアス號(一万トン)と遭遇、猛烈な砲撃戰を演じたのち遂ひにこれを撃沈した、(記事おわり)
  10. ^ (倫敦七日發)[14] 本日英海軍省發表によれば昨日正午英國驅逐艦ブランチエブリアント兩號は西班牙海岸沖昨日、海戰の起つた附近に於て五臺の國籍不明の飛行機により襲撃を受けた、數彈の爆彈が落下したが幸ひに被害なく、驅逐艦側も飛行機に對し應射しなかつた/ 昨日カルタゲナ沖合で政府巡洋艦により魚雷を受け沈没した叛軍巡洋艦は疑ひなくもバレアス號とみられてゐるが公式には未だ艦名不明とされてゐる、委細は沈没艦の乗組員救助に當つた英艦ケムペンフエルト及ボレアス兩號が生存者を収容してヂブラルタル港に入港して來れば判明するであらう、ボレアス號は政府軍飛行機が航行不能になった巡洋艦を攻撃中、爆彈の破片を受けて死亡した同艦乗組のヂョーヂ・ロングの遺骸と三名の負傷水兵を乗せてヂブラルタルに入港している/ なほ本日の下院に於て英國の水兵は生命と賭してまで交戰國の戰艦に乗込んで水兵を助ける必要があるのかといふ質問が出た(記事おわり)
  11. ^ イギリス海軍の駆逐艦が戦闘海域にいた理由は、スペイン内戦に対する諸外国の介入スペイン語版英語版スペイン内戦への不介入英語版を参照のこと。
  12. ^ ザクセンヴァルトは、5月28日夜にビスマルク生存者2名を救助していた[16]
  13. ^ カナリアスが収容したビスマルク乗組員は、ヴァルター・グラスクツァク三等水兵、ハインリヒ・ノイシュヴァンダー信号員であったという[16]

脚注

  1. ^ a b c イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 157.
  2. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 65.
  3. ^ 世界の艦船、写真シリーズ(3)巡洋艦 2007, p. 107「カナリアス」Canarias
  4. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 133aスペイン/重巡洋艦「カナリアス」級 CANARIAS CLASS
  5. ^ フランコ軍巡洋艦 バ號撃沈さる 赤色政權兩艦に依り”. Nippu Jiji, 1938.03.07. pp. 12. 2024年10月12日閲覧。
  6. ^ 世界の艦船、写真シリーズ(3)巡洋艦 2007, p. 124スペイン/「カナリアス」Canarias
  7. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 155a-156.
  8. ^ 革軍艦轟沈 スペイン海戰”. Singapōru Nippō, 1938.03.07. pp. 02. 2024年10月12日閲覧。
  9. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 133b.
  10. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 156.
  11. ^ 革命軍巡洋艦大破損”. Singapōru Nippō, 1937.09.15. pp. 02. 2024年10月12日閲覧。
  12. ^ フ軍巡洋艦撃沈さる 赤色軍々艦に”. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1938.03.08. pp. 01. 2024年10月12日閲覧。
  13. ^ 魚雷一彈を受けて 叛軍巡洋艦沈没 カルタゲナの海戰”. Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1938.03.07. pp. 02. 2024年10月12日閲覧。
  14. ^ 西班牙軍飛行機が英艦を爆撃 幸ひ命中もせず”. Nan’yō Nichinichi Shinbun, 1938.03.08. pp. 02. 2024年10月12日閲覧。
  15. ^ 巨大戦艦ビスマルク 2002, p. 370ビスマルク最後の戦闘
  16. ^ a b c 巨大戦艦ビスマルク 2002, pp. 425–427.

同型艦

参考文献

  • 世界の艦船 1986年1月増刊号 近代巡洋艦史』(海人社
  • 『世界の艦船 2006年6月号 回想の条約型重巡』(海人社)
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『写真シリーズ 軍艦の構造美を探る(3) 巡洋艦 WORLD CRUISERS IN REVIEW』株式会社海人社〈世界の艦船 別冊〉、2007年6月。 
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • ブルカルト・フォン・ミュレンハイム=レッヒベルク 著、佐和誠 訳『巨大戦艦ビスマルク 独・英艦隊、最後の大海戦』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2002年7月。ISBN 4-15-050269-2 
  • 本吉隆(著)、田村紀雄、吉原幹也(図版)『第二次世界大戦 世界の巡洋艦 完全ガイド』イカロス出版株式会社、2018年12月。 ISBN 978-4-8022-0627-3 

関連項目

外部リンク


カナリアス級

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:15 UTC 版)

カウンティ級重巡洋艦」の記事における「カナリアス級」の解説

カウンティ級元にして、カナリアス級重巡洋艦カナリアス」と「バレアレス」の2隻が建造されスペイン海軍で運用された。これらの艦は1930年代後半就役し、フランコ軍側でスペイン内戦参加した。カナリアス級は平甲板船体に他のスペイン同様の装備持っていたが、大きな集合煙突と高い艦橋構造特徴的な概観であった。なお、「バレアレス」は内戦中のパロス岬沖海戦撃沈されたが、「カナリアス」は内戦生き延びている。

※この「カナリアス級」の解説は、「カウンティ級重巡洋艦」の解説の一部です。
「カナリアス級」を含む「カウンティ級重巡洋艦」の記事については、「カウンティ級重巡洋艦」の概要を参照ください。

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