カジャカジャグーからNational Pとは? わかりやすく解説

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カジャカジャグーからNational P (2003年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:45 UTC 版)

POLYSICS」の記事における「カジャカジャグーからNational P (2003年)」の解説

2003年5月ミニアルバムカジャカジャグー』をリリース。このアルバムレコーディング最後にドラムスガイ脱退したその後サポート・メンバーとして、SNAIL RAMPイシマルドラム参加するようになり、イシマル参加の下、10月アルバムNational P』がリリースされた。 『カジャカジャグー』及び『National P』を制作した時期は、前アルバム『FOR YOUNG〜』での経験AC/DCキング・クリムゾン等のロックミュージック存在再認識したことから「ゼロ%から2000%ぐらいの振り切ったものを作んなきゃ」とハヤシ自身感じていた時期であった。そのアルバムの制作活動の中で、『カジャカジャグー』を制作していた当時スガイハヤシ求め音楽性の違い顕著となったスガイは、よりメッセージ性のある歌詞ポップで歌メロ音楽作りたかったが、ハヤシそのような音楽求めていなかった。この方向性違い理由として、4月から敢行したツアーCLUB エポック!」の大阪公演最後にスガイPOLYSICS脱退したこの様状況の中、制作されたこれら二作品は、前作となるアルバム『FOR YOUNG〜』に比べ、「初期衝動激しさ取り戻した」などと評される作品となり、さらにハヤシ自身手ごたえ感じられる作品となったしかしながら当時結果としてこの二作品売り上げ伸び悩み、さらにライブ集客減少してきていた。 上記のように、日本国内では商業的にある種伸び悩み見せていた。しかし、2003年アメリカでリリースされアルバムNEU』が好セールス記録するなど、国外において一定の評価を受けるようになった。これを受けてPOLYSICS全米ツアー敢行。この模様2004年2月DVD『PippikkippippiP In USA』としてリリースされている。以前にも海外でのライブ経験はあったものの、この頃から定期的に海外ツアーを行うなど、日本国外での活動も本格化させてきた。 また、2003年8月にはSUMMER SONIC初出演出演したこの年SUMMER SONICには、POLYSICS多大な影響与えたDEVO参加していた。彼らとステージを共にしたわけではないが、DEVO同一イベント登場共演した初の機会となった

※この「カジャカジャグーからNational P (2003年)」の解説は、「POLYSICS」の解説の一部です。
「カジャカジャグーからNational P (2003年)」を含む「POLYSICS」の記事については、「POLYSICS」の概要を参照ください。

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