カザフスタンの反応
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「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」の記事における「カザフスタンの反応」の解説
当然ながらボラットは実在のカザフスタン政府と険悪な関係にある。 2005年にボラットがMTVに登場したことを受け、カザフスタン外務省はコーエンに対して法的措置に訴える構えをみせるとともに、カザフスタン国内に設置されていたボラットの公式サイト(www.borat.kz)を閉鎖した。また2006年9月にカザフスタン大統領ヌルスルタン・ナザルバエフがアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュのもとを訪れて会談した際には、「『ボラット』以後のカザフスタンの国際的イメージについて」という話題が出たという。その後カザフスタン政府は本作の影響を打ち消すため数億ドルを費やして「ユーラシアの心」キャンペーンを発動した。 しかしながらカザフスタン政府は映画を上映禁止とはせず、配給会社に配給を見直すよう促しただけであった。その結果、現地の配給会社ジェミニフィルムは同意し、本作の国内上映は見送られた。ところが現地紙『キャラバン』の記者は本作をオーストリアのウィーンで観て「明らかに今年ナンバーワンの映画。明らかに反カザフ的でなく、反ルーマニア的でもなければ、反ユダヤ的でもない。しかし残酷なまでに反アメリカ的で、愉快なのと同時に悲しさを感じさせる」と評価した。またカザフスタン人小説家Sapabek Asip-ulyは地元紙『ブレーミヤ』の中で「全世界の視線をカザフスタンに引きつけることは、我々が独立運動ののち何年もの歳月を費やしてもできなかったことだが、ボラットはそれをやってのけた」と評価したほか「官僚はユーモアのセンスのない奴らばかりだったが、今や国全体がネタの宝庫になった」とも述べている。 なお、2012年3月22日にクウェートで行われた射撃大会の表彰式において、本来の国歌「我がカザフスタン」を流す筈が、競技会運営事務局の手違いで本作の「Kazakhstan National Anthem」をダウンロードし、流してしまうハプニングが発生、選手団が謝罪を要求する事態に発展した。 しかし、2020年に続編が公開されるとカザフスタン政府は態度を一変させ、むしろその知名度を活かして同国への観光客を誘致する政策に切り替えており、共存共栄の道を模索し始めている。
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