カイロ (軽巡洋艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 15:46 UTC 版)
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艦歴 | |
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発注 | キャメル・レアード社バーケンヘッド造船所 |
起工 | 1917年11月28日 |
進水 | 1918年11月19日 |
就役 | 1919年10月14日 |
退役 | |
その後 | 1942年8月12日に戦没 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:4,290トン 満載:5,250トン (1939年:5,390トン) |
全長 | 451.4ft(137.6m) |
全幅 | 43.9ft(13.3m) |
吃水 | 14ft(4.7m) |
機関 | ヤーロー式重油専焼水管缶6基 +パーソンズ式直結タービン2組2軸推進 |
最大出力 | 40,000shp |
最大速力 | 29.0ノット |
乗員 | 330 - 350名 |
兵装 | 15.2cm(45口径)速射砲単装速射砲5基 7.6cm(45口径)単装高角砲2基 4.7cm(40口径)単装機砲4基 4cm(39口径)単装ポンポン砲2基 機銃1基 53.3cm連装魚雷発射管4基8門 |
防御 | 舷側:38~76mm(機関区のみ) 甲板25mm(機関区のみ) 主砲防盾:25mm(最厚部) |
カイロ(HMS Cairo, D87)は、1918年進水のイギリス海軍の軽巡洋艦。カーライル級。
艦歴


1917年11月28日起工。1918年11月19日進水。1919年10月14日竣工。
最初はアジア方面に配備され、次いでアメリカ、地中海に配備された後、本国艦隊所属となった。
1938年から1939年にかけて防空巡洋艦へ改装された。
第二次世界大戦では北海やウェスタンアプローチで船団護衛などに従事したほか、1940年にはノルウェーの戦いに参加した。
1942年には地中海でハープーン作戦などに参加した。地中海でペデスタル作戦(マルタへの補給作戦)参加中の1942年8月12日夜、「カイロ」はイタリア潜水艦「アクスム」の雷撃を受けた。「アクスム」は4本の魚雷を放ち、「カイロ」のほか軽巡洋艦「ナイジェリア」とタンカー「オハイオ」にも命中した。「カイロ」には2本の魚雷が命中して大破し、乗員の救助後駆逐艦によって沈められた。
兵装の変遷
変更時期 | 主砲 | 備砲 | 機関砲 | 機関銃 | 雷装 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|
就役時 | 15.2cm(45口径)単装速射砲5基 | 7.6cm(45口径)単装高角砲2基 4.7cm(40口径)速射砲4基 |
4cm(39口径)単装ポンポン砲2基 | なし | 53.3cm連装魚雷発射管4基8門 | |
1939年7月 | 10.2cm(45口径)連装高角砲4基 | 撤去 | 4cm(39口径)四連装ポンポン砲1基 | 12.7mm(62口径)四連装機銃2基 | 撤去 | |
1941年 | ← | 撤去 | ← | 2cm(76口径)単装機関砲5基 | 撤去 | 271、279、285型レーダー搭載 |
「カイロ (軽巡洋艦)」の例文・使い方・用例・文例
- カイロという、火も電気もいらない暖房用具です。約15時間、手足を温めてくれます。
- 彼はカイロで体を暖めた。
- その船はカイロ行きだった。
- カイロに到着すると直ちに彼は中東の情況について東京の本社に第一報を送った.
- テレビのニュースによるとカイロ行きの旅客機が乗っ取られたということである.
- カイロは温まっている
- カイロの反対側のナイル川西岸にあったエジプトの古代都市
- エジプトのナイル川に面した古代都市(カイロの南)
- カイロの出身者、または、居住者
- カイロプラクティック治療の専門家
- カイロプラクターという職業
- カイロプラクティックという指圧療法
- エジプトの現在の首都カイロから約700キロ南に,古代都市テーベとその墓地遺跡がある。
- 谷選手は,9月にエジプトのカイロで開かれる世界柔道選手権には出場しない。
- それは2005年1月にカイロ近郊の遺跡発掘現場でほぼ完全な状態で発掘された。
- エジプトの首都,カイロでは,民衆が車のクラクションを鳴らし,花火を打ち上げた。
- 環境に優しいカイロが人気
- 寒い冬の日には,小型温熱パックであるカイロが暖かく過ごすのに役立つ。
- 鉄粉の酸化によって温かくなる使い捨てカイロはおなじみだ。
- しかし最近は,再使用できるカイロも人気となっている。
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