フリーマン・オースチン(Richard Austin Freeman)
1862年(文久2)、イギリスのロンドン生まれ。ミドルセックス病院付属医科大学卒。
1898年(明25)に刊行したアフリカの黄金海岸に植民地付医師補として赴任したときの紀行書「アシャンチおよびジャマンの紀行と生活」が処女作。
1902年(明35)、JJピットアケンと共同で、クリフォードアフダウン名義で、「怪盗ロムニイブリングルの冒険」を刊行。これは「キャッセルズマガジン」に連載したものだった。
1905年(明38) 、冒険小説「The Golden Pool」を発表。
1907年(明40) 、「赤い拇指紋」を刊行。
1908年(明41)、「ビアスンズマガジン」に科学者探偵ソーンダイク博士ものの短編を連載し、ホームズの好敵手となった。
1909年(明42)、短編集「ソーンダイク博士の事件簿」を発表。
1909年(明42)、「青いスパンコール」が少年ものとして「科学的探偵奇談」の題で、三津木春影の訳で紹介される。従来は「奇絶怪絶飛来の短剣」の題で訳した「アルミニュームの短剣」がはじめての紹介だと考えられていたが誤りで、同訳も初めは「骸骨画と殺人犯」の題だった。1911年(明44)には「呉田博士」の題名で一冊にまとめられる。
1912年(明45)、初の倒叙探偵小説「歌う白骨」を発表。
1920年(大9)、「新青年」創刊号に「オリシスの眼」(1911年(明44))が保篠龍緒によって「白骨の謎」の題で訳される。なお、「オリシスの眼」を発掘し、訳させたのは長谷川天渓。
1926年(大15)、「ダープレイの秘密」を発表。
科学的な作風で、現代的探偵の先駆け。
1943年(昭18)、死去。
オースティン・フリーマン
(オースチン・フリーマン から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 02:06 UTC 版)
リチャード・オースティン・フリーマン(Richard Austin Freeman, 1862年4月11日 - 1943年9月28日)は、イギリスの推理作家。
- 1 オースティン・フリーマンとは
- 2 オースティン・フリーマンの概要
- オースチン・フリーマンのページへのリンク