オルローフスキイ・コムソモーレツ (警備艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 13:36 UTC 版)
| PLK-21 SKR-21 オルローフスキイ・コムソモーレツ |
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|---|---|---|
| 艦歴 | ||
| PLK-21 ПЛК-21 |
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| 起工 | 1964年12月29日 第368造船工場 | |
| SKR-21 СКР-21 |
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| 改称 | 1966年5月19日 | |
| 進水 | 1966年6月30日 | |
| 竣工 | 1966年12月31日 | |
| 所属 | ||
| オルローフスキイ・コムソモーレツ Орловский комсомолец |
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| 改称 | 1979年3月12日 | |
| 所属 | ||
| 除籍 | 1991年2月15日 | |
| 解体 | 1991年6月1日 | |
| 要目 | ||
| 艦型 | 159-A号計画型 | |
| 艦種 | 警備艦 | |
| 工場番号 | 36 | |
| 排水量 | 基準排水量 | 970 t |
| 満載排水量 | 1110 t | |
| 全長 | 81.8 m / 78 m(喫水線長) | |
| 全幅 | 9.2 m / 8.9 m(喫水線長) | |
| 喫水 | 5.8 m / 2.85 m(中間部) | |
| 機関 | CODAG機関M-2 | |
| ガスタービン機関M-2B | 2 基 | |
| 合計出力 | 30000 ht / 22050 kWt | |
| ディーゼル機関61B | 1 基 | |
| 出力 | 6000 ht / 4410 kWt | |
| スクリュー | 3 基 | |
| 操舵装置 | 2 基 | |
| 速力 | 33 kn | |
| 航続距離 | 2000 浬/14 kn | |
| 活動期間 | 10 日 | |
| 乗員 | 士官 | 9 名 |
| 水兵 | 99 名 | |
| 武装 | 76.2 mm連装砲AK-726 | 2 基 |
| 400 mm4連装魚雷発射管ChTA-40-159A | 2 基 | |
| 12連装対潜ロケット砲RBU-6000「スメールチ2」 | 2 基 | |
| 対潜ロケット弾RGB-60 | 96 発 | |
| 爆雷投射機 | 2 基 | |
| 爆雷BB | - | |
| 機雷 | 20 - 30 個 | |
| 指揮 | 戦闘情報統禦装置「プランシェート59」 | |
| 電探 | 汎用捜索電探「フートN」 | 1 基 |
| 航法レーダー「ドン2」 | 1 基 | |
| FCS | ||
| 射撃管制レーダーMR-105「トゥレーリ」(主砲用) | 1 基 | |
| ソナー | 「チターン」 | |
| 「ヴィーチェグダ」 | ||
| EW | 電子戦対抗装置「ビザーニ4B」 | |
| 通信 | 通信装備一式 | |
| IFF | 「ニフローム」 | |
オルローフスキイ・コムソモーレツ(ロシア語:Орловский комсомолецアルローフスキイ・カムサモーリェツ)は、ソ連の警備艦(Сторожевой корабль)である。艦名は「オリョールのコムソモール員」という意味。
概要
建造
オルローフスキイ・コムソモーレツは、ロシア共和国・ハバロフスクのS・M・キーロフ記念第368造船工場で159-A号計画型警備艦の1番艦として建造された。[1]この艦型は、ディーゼル・ガスタービン混合機関(CODAG)を搭載する1000 t級の対潜艦159号計画型の発展型で、ソ連海軍の中堅艦として大量生産が予定されていた。
1964年12月29日に工場番号36号艦として起工、1966年3月12日付けでPLK-21(ПЛК-21)としてソ連海軍に編入された。「PLK」(ПЛК)とは、「対潜艦」(Противолодочный корабль)の略号である。しかし、同年5月19日には警備艦(Сторожевой корабль)に艦種変えとなり、艦名はSKR-21(СКР-21)に改められた。その後、6月30日には進水、12月31日には竣工、翌1967年1月14日付けで赤旗受賞太平洋艦隊に配備された。
現役
1970年12月31日から1971年5月31日にかけてと1974年12月24日から1975年7月1日にかけてウラジオストクのソ連50周年記念「ダリザヴォート」で中期修理を受けた。1979年3月12日付けで艦名はオルローフスキイ・コムソモーレツに改められた。
1988年12月16日から1989年10月1日にかけての間、オルローフスキイ・コムソモーレツは「ダリザヴォート」でオーバーホールを受けた。しかし、オーバーホールは完了せず、1989年10月1日に事実上現役を退いた。
その後、SKR-21はノヴィーク湾でモスボールに入れられた。1991年2月15日には正式に海軍より除籍され、解体・売却のため資金資産局への引渡されることとなった。解体作業は、同年6月1日には完了した。
脚注
- ^ そのため、159-A型はオルローフスキイ・コムソモーレツ級、SKR-21級などの艦級名で呼ばれる。
関連項目
- 初代SKR-21(RT級)
外部リンク
- オルローフスキイ・コムソモーレツ_(警備艦)のページへのリンク