エミル・ギメと日本の芸術
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「アングロジャパニーズ・スタイル」の記事における「エミル・ギメと日本の芸術」の解説
リヨン出身の産業家、エミール・ギメ(フランス語: Émile Guimet (1836-1918)はもともと、エジプト、アジア、そして古代宗教に関した博物館を作ることを目的としていた。将来の博物館は、ギメが旅行中に収集したコレクションに基づいていた。彼はギリシャ、アラブエジプトを訪れ、その後、日本、中国、インドに立ち寄り、世界中を旅した(1876年)。 彼は当時の貴族が行う教育旅行の伝統から、旅行の準備ができており、スーツケースに加えて、フランスへ輸出の対象とならないものや現象(建築物、城、修道院、風景など)を記録するためにアーティストが雇われた。ギメは日本滞在中、常に店舗や廃墟となった寺院を訪れ、絵画、彫刻、巻物などを買い続けていた。そして300もの絵画、600ものの彫刻、1,000にもおよぶ巻物を集め、芸術、科学、執筆とさまざまな分野に携わっていく。 このコレクションは、1879年にリヨンでまず展覧披露された。ギメのコレクションの並外れた芸術的および科学的価値から、1889年にはパリでも紹介披露された。
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