エアバッグの特許取得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 06:21 UTC 版)
エアバッグ開発の際、確たる技術的裏付けを得るために東京大学をはじめとして国公私大の教授陣や立川の防衛庁(現・防衛省)航空医学実験隊などの研究機関の協力を求め、開発資金に私財を投じている。小堀が考案した「衝突時乗員保護のシステム」は衝撃加速度検出装置、弾性防御袋(エアバッグ)、気化ガス発生装置などで構成されていた。尚、このとき既に小堀は運転席、助手席、後席エアバッグに加え、側面のサイドエアバッグやルーフエアバッグも考案していた。 また、乗員のみに留まらず対歩行者安全装置にも拡げ、歩行者のバンパーへの接触を検出し、ボンネット上に倒れこむ前にポール状のエアバッグをネットと共に架長して、歩行者をすくい込む歩行者用エアバッグも考案している。その結果、エアバッグ関連の特許取得は世界14カ国に及ぶこととなり、小堀は企業家として新たな道を歩むこととなる。 しかし、その時代の産業界や省庁の安全センスと世界に先駆ける英断(火薬の使用が当時の日本の消防法に抵触してしまうことから、日本でエアバッグが開発されることはなかった)に出会うことなく、やがて俎上から消え、これら特許はその期限を終える。小堀はエアバッグの実用化をその目で見ることなく1975年にこの世を去った。 欧米では日本より一足早く1950年代から研究が進められ、1980年に西ドイツ(現ドイツ)の自動車メーカー、メルセデス・ベンツがSクラスで実用化したのを皮切りに世界各国で実用化され、日本においても1985年にホンダ・レジェンドに採用されたことをきっかけに徐々に採用車が増え、今では殆どの乗用車に装着されるまでにその安全性の高さが認知された。
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