イーリー‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【イーリー大聖堂】
イーリー大聖堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:23 UTC 版)
壮麗な、通称イーリー大聖堂(北緯52度23分55秒 東経0度15分51秒 / 北緯52.398611度 東経0.264167度 / 52.398611; 0.264167)と呼ばれる、正式名「聖なる不分割の三位一体教会聖堂」は、Fensと呼ばれた低地に広がる泥沢地帯をその塔から遠く眺められていたことから『フェンスの船』という呼び名で知られてきた。イーリーの司教座は、リンカン司教座の外に1108年に創設された。大聖堂は1083年のウィリアム1世の代に工事が始まり、1351年に完成した。その間、1322年には主要塔が崩壊し8角形塔に再建されているので、西塔と共に目立った外観になっている。イーリー司教管轄区は1109年にもうけられた。市は1381年に起きた農民反乱に巻き込まれた。 オリヴァー・クロムウェルは1636年に徴税人の地位を継承後、数年間イーリーで暮らしていた。16世紀からあるかつての彼の家は、当時の物を展示した美術館であると同様、現在観光情報局のオフィスとなっている。 イーリーに関連した歴史的記録には、イングランド国教会の教区の登記簿、裁判記録、地図や写真といったものが含まれ、ケンブリッジ・カウンティ記録事務所内のアーカイブスが保有している。 イーリー大聖堂は、近接する都市ケンブリッジの大聖堂である。ケンブリッジは自前の大聖堂を持っておらず、イーリー主教座の管轄内にある。主教座はケンブリッジシャーの3900平方kmの教区と、341軒の教会、610,000人の信者(1995年)を抱えている(南部の一部はチェルムスフォード主教区、西部はノーフォーク主教区、一部の教区がピーターバラとエセックス、そして1つがベッドフォードシャー内にある。
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