インディ500への参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 16:22 UTC 版)
松田のインディ参戦では日本人ドライバーとしての事績以外にも、SAFERバリア(英語版)の開発への貢献が挙げられる。20世紀後半、インディカーは際限の無い性能向上により平均周回速度が400km/hに迫る状況となっており、幾つかの死亡事故と、少なからぬドライバーを引退や活動縮小に追い込む多数の負傷事故が発生していた。 こうした状況を受け、インディ・レーシング・リーグは1998年よりPEDSバリアと呼ばれる衝撃吸収壁を試作していたが、松田は2000年のインディ500(英語版)予選にて改良型のPEDS-2バリアに時速320km/hで激突、松田の体には160Gの加速度が掛かり、手首と膝を複雑骨折するも生還した。 この際にPEDS-2バリアの隠れた欠陥が複数明らかとなり、松田の車両の事故時のテレメトリーデータ等も参考とされて再設計が行われ、2002年にSAFERバリアとして完成したものとなった。
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