イタリアの民間航空での就役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 04:36 UTC 版)
「サヴォイア・マルケッティ SM.75」の記事における「イタリアの民間航空での就役」の解説
SM.75は1937年11月にピエモンテ州のノヴァーラで初飛行を行い、1938年にアラ・リットリア航空で1939年にLATI航空でヨーロッパと南アメリカ路線に、第二次エチオピア戦争でのアビシニア占領後にはローマ-アディスアベバ路線にも就航した。SM.75は4名の搭乗員、17名の乗客とその荷物を搭載して高度4,000 m (13,123 ft) を時速362 km/h (225 mph) で1,721 kms (1,069 ml) の距離を飛行する能力を有することを易々と証明して見せ、ペイロードを搭載しての距離間速度記録と周回航続距離飛行の世界記録を幾つか樹立した。1機のSM.75が無着陸飛行記録挑戦のために改造され、1939年に約12,000 km (7,456 ml) を飛行して記録を樹立した。 1940年6月10日にイタリアが第二次世界大戦に参戦すると民間のSM.75を使用したイタリアの海外植民地への補給任務は続けられ、これは戦争の進行に連れて規模が縮小されていったが1943年9月8日のイタリアと連合国との講和が発効するまで続けられた。民間のSM.75は南アメリカでイタリアが米国に宣戦布告する1941年12月まで運用が続けられていた。
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