イタリアの無条件降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:52 UTC 版)
「イタリアの降伏」の記事における「イタリアの無条件降伏」の解説
9月12日、ドイツ軍はグラン・サッソ襲撃によってムッソリーニを奪還した。憔悴したムッソリーニにヒトラーはイタリアでの最高権力を奪還するよう強要した。ムッソリーニは9月15日に最高権力の回復と、共和ファシスト党の成立を宣言し、9月23日にはイタリア社会共和国の成立を発表した。しかし実態はドイツの傀儡政権であり、ムッソリーニはイタリアにおける主導権を取り戻すことはできなかった。 一方で連合国側は、イタリアの無条件降伏をより明確にする必要があると考え、停戦協定では全く不十分であり無条件降伏しなければならないとイタリア側に迫った。9月29日、アイゼンハワーはイタリアの状態が変更されることを告知する文書をバドリオに送った。11月9日、バドリオは戦艦ネルソン上で、休戦協定を無条件降伏協定へと変更する文書に署名した。しかし連合国はファシズム・イタリアを対等な同盟国として認めず、残存したイタリア王国軍は共同参戦国軍として10月13日ドイツに対して宣戦布告。また、ドイツ降伏後の1945年7月15日には大日本帝国に対して宣戦布告している。
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