イタリアの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/31 14:31 UTC 版)
「フェデリコ・カプリッリ」の記事における「イタリアの活躍」の解説
カプリッリが生んだ自然馬術方式により、1920年から1930年にかけてイタリアは国際競技において他国を圧倒した。イタリアの公式派遣チームは、1930年度においてはローマ、ニース、ブリュッセル、ワルシャワ、アーヘン、ルツェルン、ダブリン、及びジュネーブの八大国際馬術競技に参加し、どの競技会においても優勝国賞典またはこれに似た名称の国際団体賞を獲得した。これら八大競技中優勝国賞典を獲得すること6回、他の2回はスイスに一等を許したが、それでも第二等を下ったことはなかった。イタリアチームはフランス、スイス、ベルギー、アイルランド、ポーランド、チリ、チェコ、ルーマニア、ドイツ、イギリス、スウェーデンのチームと優勝国賞典争奪戦を34試合行い、32回勝利した。 更に個人的に各地国際馬術競技に参加したイタリア選手が発揮した技術は驚異的であり、本国以外の各地で総計202回の勝利を得ている。 当時ドイツの代表的選手だったギョルツ伯爵は遠征記の中で「イタリアチームが優勝するだろうということは既に事前から誰にも明らかなことであったが、彼等がまのあたり易々として卓抜なる技倆を発揮し、かつ堂々たる様式をもって優勝を為した時は、誰しも予期していたことであったにもかかわらず、人々をして愕然たらしめた」とし、更に「ゆうに二万に及ぶ観衆は等しく『彼らイタリア選手は実に世界第一にして、かつ最も勇敢なる騎手である』との折紙をつけた」と記している。
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