イタリアの敗北 北アフリカ戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:12 UTC 版)
「ドイツ陸軍 (国防軍)」の記事における「イタリアの敗北 北アフリカ戦」の解説
少し時間を遡って1941年2月12日、エジプトに侵攻し大規模な敗北を迎えたイタリア軍の救援のため、エルヴィン・ロンメル中将を指揮官としたドイツアフリカ軍団をリビアに送った。ロンメルは怒涛の進撃で戦線を押し戻していった。その後イギリス軍は圧倒的物量で敵を押しつぶす『バトルアクス作戦』および『クルセーダー作戦』を実行し物量に劣るドイツ・イタリア軍を押し戻していく。連合軍は暗号解読の努力を地中海に集中し、海路の補給を妨害するとともに、豊富な補給で巻き返しを図った。1942年のエル・アラメイン戦を境に、ドイツ軍はここでも退潮を迎えた。
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