イストヴァン・ヨニエル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 13:22 UTC 版)
![]() | この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。(2024年1月) |
イストヴァン・ヨニエル | ![]() |


獲得メダル |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
イストヴァン・ヨニエル(István Jónyer, 1950年8月4日 - )は、ハンガリーの卓球選手。1970年代の世界最高の卓球選手の一人といわれ、ティボル・クランパ、ガボル・ゲルゲリーと共にハンガリー卓球三銃士と呼ばれた[1]。
経歴
世界選手権では1971年の名古屋大会ダブルスで優勝。1975年のカルカッタ大会ではシングルス決勝でステパンチッチ(Antun Stipančić)にセットカウント2-0とリードされたところから3-2と逆転し優勝、ダブルスでも優勝、1979年の平壌大会では団体優勝を果たした[1]。ヨーロッパ選手権でもダブルスと団体でそれぞれ2度優勝している。またハンガリー選手権では1968年から1982年まででシングルス8回、ダブルス11回、混合ダブルス8回の計27回優勝している。国際大会では1984年までに331試合に出場を果たした。1996年の末にハンガリー卓球協会の副会長に就任した。
私生活では2人の子供がいる。
主な戦績
- 世界卓球選手権
- 男子ワールドカップ
- ヨーロッパ卓球選手権
- ヨーロッパユース卓球選手権
- ヨーロッパトップ12
脚注
- ^ a b “訃報 ベルチック氏が急逝”. 日本卓球協会 (2011年1月12日). 2011年5月17日閲覧。
外部リンク
- イストヴァン・ヨニエル ITTFデータベース (英語)
固有名詞の分類
- イストヴァンヨニエルのページへのリンク