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佐藤博治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 18:46 UTC 版)

佐藤 博治
基本情報
よみがな さとう ひろじ
生年月日 (1925-02-03) 1925年2月3日
没年月日 (2000-06-04) 2000年6月4日(75歳没)
国籍 日本
出身地 青森県
選手情報
戦型 カット主戦型
ITTFサイト WTTプロフィール
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧
獲得メダル
日本
男子卓球
世界卓球選手権
1952 ボンベイ シングルス
1952 ボンベイ 団体
アジア卓球選手権
1952 シンガポール シングルス
1952 シンガポール 混合ダブルス
1952 シンガポール 団体
1953 東京 ダブルス

佐藤 博治(さとう ひろじ、1925年2月3日-2000年6月4日)は日本の卓球選手。青森県出身。8段[1]

経歴

ペンホルダーラケットを用い、カットを多用した「カット主戦型」のプレースタイルで活躍。1947年の全日本軟式卓球選手権大会のシングルスと金田芳雄とのダブルスで優勝した[2]

原田力蔵アームストロング株式会社社長が1952年に発明したスポンジラバーを角田啓輔とともに貼ってプレーした[3][4]最初の選手である。世界的に無名だった1952年の世界卓球選手権ボンベイ大会で優勝、世界に衝撃を与えた[5][6]。この年、朝日スポーツ賞を受賞した[7]

脚注

  1. ^ 段位取得者 北海道・東北””. 日本卓球協会. 2012年11月15日閲覧。
  2. ^ 公式大会優勝記録 全日本軟式卓球選手権大会”. 日本卓球協会. 2012年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月15日閲覧。
  3. ^ ITTFミュージアムマップ 厚スポンジラケットとテクノロジーの時代”. 国際卓球連盟. 2016年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月15日閲覧。
  4. ^ 谷中・桜木・上野公園路地ツアー”. 2012年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月15日閲覧。
  5. ^ Others Chess in shorts: The thrill of table tennis”. インデペンデント (2008年3月13日). 2012年11月15日閲覧。
  6. ^ David Moye (2010年12月14日). “How Pingpong Changed the World”. AOL. 2012年11月15日閲覧。
  7. ^ 朝日スポーツ賞(1974~1929年度)”. 朝日新聞. 2012年11月15日閲覧。

外部リンク




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