イギリス海峡の横断飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 23:26 UTC 版)
「ロジェ気球」の記事における「イギリス海峡の横断飛行」の解説
ロジェ気球が開発された当時は、1783年にモンゴルフィエ兄弟らによる熱気球やジャック・シャルルらによるガス気球による有人飛行が成功し、1785年1月にはジャン=ピエール・ブランシャールらにより、水素ガス気球によるイギリス海峡のイギリスからフランスへの横断飛行に成功していた。 ピラートル・ド・ロジェは、すでに1783年11月にモンゴルフィエ兄弟による熱気球に搭乗し、人類初の気球による有人飛行の偉業を成し遂げていたが、ブランシャールらのイギリス海峡横断の快挙に嫉妬し、さらに自らもイギリス海峡横断で名を上げるべく、今度はフランスからイギリスへの逆ルートでの横断飛行の冒険が企てられた。 しかしイギリス海峡は西風が吹くことが多く、陸地との間隔が狭いドーバー海峡付近では逆ルートでは向かい風となり気球が出発地のフランス側に押し戻されることが予想され、海に墜落する恐れもあったことから、気球の上部のガス気球で気球の浮力を温存し、下部の熱気球で浮力を補うことで長時間の滞空が期待できる新型のロジェ気球が考案された。 その構造は、気球の上部の球体に水素ガス気球を配置し、その下に円筒状の熱気球を配置して周りに回廊を設けた、丸形フラスコを逆さにしたようなものであった。 しかし当時のガス気球といえば、可燃性の水素ガス気球しかなかったことから、ロジェの考案したガス気球と熱気球を合体させるアイデアを、ジャック・シャルルは「火薬のそばで火を焚くようなもの」として警告をしていたが、ロジェはそれに耳を貸すことはなかった。 1785年6月15日にロジェは、気球の製作者のジュール・ローマンとともにドーバー海峡に面したフランス北部の港町ブローニュ=シュル=メールの海岸からロジェ気球でイギリス海峡横断に出発したが、高度400mで熱気球に引火し、まもなく水素ガス気球にも燃え移り、大音響とともに爆発し墜落。ロジェは惨死し、ローマンも間も無く息を引き取り、乗っていた2人は航空機史上初めての犠牲者となった。 その後、ロジェ気球は長い間注目をされることはなかったが、近年の科学技術の発展によりガス気球のガスの可燃性のリスクが不燃性ガスのヘリウムガスの使用により克服され、また熱気球も取り扱いの容易なプロパンガス燃料が普及したことから、1970年代以降には長期の無着陸滞空飛行の冒険においてロジェ気球が再び使われ出すようになり、1999年には、ベルトラン・ピカールとブライアン・ジョーンズがロジェ気球「ブライトリング オービター 3」により無着陸世界一周飛行に成功、また2002年には米国人のスティーヴ・フォセットがロジェ気球により初の単独気球世界一周飛行に成功している。
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