アージーヴィカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 23:30 UTC 版)
「マッカリ・ゴーサーラ」の記事における「アージーヴィカ」の解説
「アージーヴィカ」の原義は「命ある(jIIvika)限り(aa)」であるともいわれる。すなわち、「命ある限り誓いを守る」ということであり、出家者には苦行と放浪が義務づけられ、その多くは宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。かれらはマハーヴィーラやゴーサーラ以前からの慣習にしたがい、裸で徘徊し、他の遍歴修行者同様、乞食し、厳格な食事上の規則にしたがい、その多くは餓死することによって生命を終えた。アージーヴィカは元来は「生活法に関する規定を厳密に遵奉する者」の意で自称したものであるが、他教団から貶称として用いられるときは「生活の糧を得る手段として修行する者」の意となり、漢訳仏典では「邪命外道」の漢字があてられている。 ゴーサーラの思想はインド思想史において特異な地位を占め、その決定論的思考は、自然現象の解明や生命法則の研究と結びついた。 アージーヴィカ教は、インド亜大陸のほぼ全域を統一したマウリヤ朝のアショーカ王(阿育王)とその後裔にあたるダシャラタ王の時代に保護されて大勢力となった。アショーカ王碑文(第7デリー・トプラ碑文)には仏教、バラモン教、ジャイナ教と並んでアージーヴィカの名が登場し、当時、栄えた宗派のひとつであったことが推定できる。その後、しだいに勢力は衰え、主としてジャイナ教に吸収されていったが、南インドのマイソール(カルナータカ州)などでは存続し、少なくとも13世紀にいたるまではタミル人を中心に信奉されていたことが知られている。
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