アンデス文明の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:54 UTC 版)
天野はペルーでの事業が成功した後、ペルー中部にあったチャンカイ文化遺跡の調査・発掘に取り組んだ。このアンデス文明に対する興味は、チリで農場を経営した際に農場がビオビオ州・コンセプシオン郊外のアンダリエンにあったことから、この地の先住民アラウカノ族に興味をもったことに始まるという。 1956年(昭和31年)2月、人類学者の泉靖一(当時・東京大学教養学部助教授)が天野のもとに訪れ面会、天野が調査してきた古代ペルー文明について興味を持ち、後に東京大学にアンデス考古学の講座を開設した。 天野は1958年(昭和33年)1月に天野博物館を設立。同年5月に東京で「インカ帝国文化展」を開催した。その後も天野の発掘調査は続き、1964年(昭和39年)5月にリマに博物館が竣工し、1967年(昭和42年)5月14日には当時の皇太子(明仁上皇)夫妻が来訪している。 1959年(昭和34年)ペルー文化功労勲章を受章。1980年(昭和55年)吉川英治賞を受賞。1982年(昭和57年)に国際交流基金賞を受賞。1982年(昭和57年)10月14日に死去。
※この「アンデス文明の研究」の解説は、「天野芳太郎」の解説の一部です。
「アンデス文明の研究」を含む「天野芳太郎」の記事については、「天野芳太郎」の概要を参照ください。
- アンデス文明の研究のページへのリンク