アンティステネスの誇り(富)の吟味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 18:33 UTC 版)
「饗宴 (クセノポン)」の記事における「アンティステネスの誇り(富)の吟味」の解説
次に、アンティステネスの番となる。 アンティステネスは、わずかな財産しかない自分が「富」を誇りとしているのは、人間は「富」や「貧しさ」を、「家の中」ではなく「心の中」に持っていると考えるからだと言う。 というのも、例えば、 非常に多くの財産を持ちながら、それに飽き足らず、更に資産を増やすために、いかなる苦労・危険も引き受けるような人々 兄弟で同額の遺産を相続していながら、一方はそれで自足しつつ上手くやり繰りして余裕があるのに、他方は浪費によって欠乏に陥る事例 莫大な財産がありながら、(窃盗、壁破り強盗、誘拐などを行う貧困犯罪者たちより悪辣な)家々の破壊、大量虐殺、他国への侵略・隷属化を行う専制君主たち といったものを実際に多数目撃しているからであり、彼らは「多く所有し、多く食べるが、決して満ち足りないような人々」と同じ状態にあるように思えるし、哀れだとアンティステネスは言う。 それに対して、アンティステネス自身は、わずかな財産しかないが、空腹を満たし、喉の渇きを癒やし、寒さを防げる衣類や家、安眠できる寝床があること等、最低限の事柄で自足できるし、性的な相手に関しても身近な他の男が近づかないような女性相手でも満足できるので彼女たちも歓迎してくれると述べる。 そしてアンティステネスは、そんな自分の持ち物(富)の中で、最も価値のあるものは、「自分の欲求・需要を満たすための糧になるものを見極めて選択し、糧にならないものには着目しない能力(自制・分別・判断力)」であると主張する。例えばそれは、楽しく過ごしたい時に、欲してもいないのに市場で高価・上等なもの買うようなことを、しないで済ませることができるということであり、今も饗宴において喉が渇いているわけでもないのにタソス島の高級ぶどう酒を飲んでいるが、欲求が生じてからそれを満たすために飲む時とでは、快楽にとても大きな違いがあると述べる。 さらにアンティステネスは、 そのようにして多くの持つよりも倹約に気を配る人々は、自分の持っているものに最も満足し、他人のものを最も求めない人々なので、そうでない人々よりもずっと正しいと言える この種の「魂の中の富」は、ソクラテスやアンティステネス自身が友人たちに出し惜しみなく分け与えていることからも分かるように、人々を気前よくもする またそうした(自制・自足・倹約できる)人々は、最も優雅な持ち物(富)である「時間の余裕」もいつも持つことができ、見るに値するものを見たり、聞くに値するものを聞いたり、ソクラテスと共に日を過ごしたりできる と付け加える。 カリアスは、アンティステネスをうらやましく思う点が他にもあるが、特にうらやましいのが、 そのような生活をしていても、国が彼を奴隷のように扱わない点 人々に貸し付けをしなくても、人々が怒らない点 であると、指摘する。 そこでニケラトスが、「自分はホメロスによって財産の重さと数を数えることを教えられたので、多くの富を絶えず求めているし、非常に金銭欲が強いとある人々に思われている」と、的を得た自嘲をしたので、一同は大笑いをした。
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