アンコエラン(支離滅裂派)
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「ル・シャ・ノワール」の記事における「アンコエラン(支離滅裂派)」の解説
「アンコエラン(支離滅裂派)」も「フュミストリー」とほぼ同義に用いられる。これは「グードー率いるイドロパット集団の後継者が1881年に興した反芸術運動であり、主導者であるジュール・レヴィ(フランス語版)は、馬鹿馬鹿しさを志向した展覧会や舞踏会を多く開催した。自宅を会場にして開催した第2回アンコエラン展には、ボール紙の上に貼り付けられた玩具、胡桃の殻を運んで空中にゆれる赤い風船、靴底を板にはめ込めた郵便配達夫などレディメイドを使用した作品が並び、1日の間に2,000人を超える人々が押しかけた。伝統的な芸術の概念を壊そうとしたこの芸術運動は、20世紀のダダイスムやシュルレアリスムなどの重要な先駆けとして位置づけられている」。 「アンコエラン」、「フュミスト」の典型は風刺画『パイプを咥えるモナ・リザ』で知られるサペック(本名ウジェーヌ・バタイユ(フランス語版)(1854-1891) である。1882年、彼は開店間もない「ル・シャ・ノワール」に客を呼び込もうとして、サリスのピストル自殺を伝える虚報と葬儀の芝居を思いついた。訃報記事を書いたのは「アケンピ」という偽名を使っていたエミール・グードーであった。「ル・シャ・ノワール」を閉店して葬儀を行うとして、参集を呼びかけた。当日、店内には黒幕が張られ、棺が置かれ、弔問客を迎える準備が整えられた。画家ポール・シニャックは修道女に扮したという。そしてこの大がかりな茶番劇の最後にサリスが姿を現し、弔問客を驚かせたのである。
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