アレクサンドル2世の時代 (1855-81)
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「反ユダヤ主義」の記事における「アレクサンドル2世の時代 (1855-81)」の解説
アレクサンドル2世(在位:1855年 - 1881年)はユダヤ人徴兵法を廃止し、学校での宗教教育を自由選択として、ユダヤ人からは「解放ツァーリ」と呼ばれ、ユダヤ人富裕層ではロシア語使用がすすみ、ユダヤの新聞がロシア語で出版されるようになった。 ロシアの富裕ユダヤ人には、銀行や金鉱開発や鉄道事業で成功したギンツブルク家や、金融資本家で南ロシア炭鉱会社を経営してロシア貴族ともなったポリャーコフ家があった。ニコライ・ネクラーソフはスラヴ人商人は良心の呵責によって窓から金を投げ捨てる一方で、富裕ユダヤ人は平気で搾取横領し、その成果を外国で貯蓄運用すると述べた。 1862年、汎スラブ主義の評論家イヴァン・アクサーコフはユダヤ人解放に反対し、ロシアの民衆とキリスト教徒をユダヤ人から解放することを主張した。 1869年、ロシア正教会に改宗したユダヤ人のヤコブ・ブラフマンは『カハルの書』などで、ユダヤ人は非ユダヤ教徒を商業・産業から追い出し、あらゆる資本や不動産を自分の懐に集めてロシア民衆を搾取して服従させてロシアに国家内国家を形成しようとしており、ユダヤ人国際組織は世界中のユダヤ共同体(カハル)を統率し「世界イスラリエット同盟」はフランス革命を起こしたと論じた、ドストエフスキーへ影響を与えた。 1877年のロシア・トルコ戦争によって、ロシアでは反ユダヤ主義が国家上層部と大衆の間で広まった。
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