アルガンの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:23 UTC 版)
「ソマリランドの戦い」の記事における「アルガンの戦い」の解説
対仏国境封鎖と中央都市占領を終えてベルベラへの突破を目指し、アルガン砂漠に進んでいたAOI軍は8月10日に戦力を結集していた英軍駐屯軍と衝突した。 その前となる7日と8日にイギリス本国から新たにスコットランド高地連隊と第2パンジャブ連隊の構成大隊から編成された増援が派遣され、同時にアーサー准将は司令官から更迭され新たにアルフレッド・ゴールドウィン少将がバルベラの司令部に着任した。続いて英中東軍総司令官アーチバルト・ウェーベル大将は更なる大規模増援を決定したが、これらは結局はベルベラ陥落と英軍撤退までに間に合わなかった。 アルガン砂漠からバルベラへと向かう街道には英軍の陣地が6つの丘にそれぞれ建設されており、シモーネ司令官は第15パンジャブ連隊の第3大隊への攻撃を命令した。伊軍は大隊の抵抗を退けて第15パンジャブ連隊による防衛線を突破した。英軍側も反撃を展開したがこれは失敗に終わり、二つの丘において伊軍の攻撃を退けるのが精一杯の状態であった。翌日に再開された伊軍の総攻撃でローデシア大隊と東アフリカ砲兵隊も敗走し、新たにもう一つの陣地が占領された。8月13日から14日の間の戦闘で英軍は残りの陣地を守り抜いたが、伊軍もまたより攻撃するのに適した前線拠点を確保していった。 8月15日、アルフレッド・ゴールドウィン少将はもはや援軍が届くまで、イタリア王国軍の攻撃からアルガン防衛線を守り抜く事は非現実的であると中東軍司令部に打電した。その上でゴールドウィン少将はバルベラへの後退と、ソマリランドからの海路による脱出を計画した。ゴールドウィン少将は撤退しなければいずれ英軍は包囲殲滅されて全滅するだろうが、今なら多くの兵士を助けられると主張した。同日、中東軍司令部はソマリランドの放棄を決定し、ゴールドウィン少将の脱出計画を承認した。 15日の夜、英軍は一斉にアルガン砂漠からバルベラへと退却を開始、伊軍の追撃に対してスコットランド高地連隊が殿を務めて脱出への時間を稼ぐ役割を与えられた。
※この「アルガンの戦い」の解説は、「ソマリランドの戦い」の解説の一部です。
「アルガンの戦い」を含む「ソマリランドの戦い」の記事については、「ソマリランドの戦い」の概要を参照ください。
- アルガンの戦いのページへのリンク