アリダイオスの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:08 UTC 版)
「ピリッポス3世」の記事における「アリダイオスの登場」の解説
マケドニア王ピリッポス2世とラリサ出身の踊り子ピリンナのあいだに生まれた。庶子であったが、やがて彼の結婚問題をめぐってピリッポスとアレクサンドロスの仲が険悪化し、一時アレクサンドロスが母のオリュンピアスとともにマケドニアを出奔する事態などになったため、アリダイオスの地位が相対的に向上し、アレクサンドロスのライバルと見なされるようになった。プルタルコスによればオリュンピアスはアリダイオスの影響力が強まるのを恐れ、彼に毒薬を盛ったという。アリダイオスは毒のために知的障害者となり、事実上王位継承の資格を喪失した。 その後アリダイオスはマケドニア宮廷において長らく日陰の存在であったが、一代で大帝国を築き上げた弟のアレクサンドロスが紀元前323年に急死したことから事態が急転回する。アレクサンドロスには王位を託すに足る息子がおらず、しかもその遺言は「最も強き者がわが後を継げ」という、諸将にとっては大いに困惑させられるものであった。 アレクサンドロスの死後その家臣たちはバビロンで今後の体制を決定する会議を開いた(バビロン会議)。当時血縁上アレクサンドロスに近しい者としては、まずアレクサンドロスと愛妾バルシネの間に生まれたヘラクレスがいたが、幼少のうえ庶出という弱みがあった。武将ネアルコスは彼を推薦したが、賛同する者は皆無であったという。アレクサンドロスの正妃ロクサネは当時妊娠6ヶ月であったが、むろん生まれてくる子供の性別もわからない状態では如何ともしがたかった。将軍ペルディッカスはひとまず彼女の出産まで事態を据え置くことを提案したが、プトレマイオスはいずれにせよ異国人の血を引くことになる王子の継承に反対し、重臣たちの合議制を提案した。武将メレアグロスは他の者たちの口論を一蹴し、いち早く軍隊の掌握を図った。 クルティウス・ルフスによれば、このとき無名の兵士が突然アリダイオスの名をあげ、彼こそが王たる資格を持つ唯一の人物であると主張した。多くの者はこの意見に賛同し、大勢は一挙にアリダイオスに傾いた。当時バビロンに居合わせたアリダイオスが直ちに連れてこられ、ピリッポスの名によって歓呼を受けると、メレアグロスが即刻アリダイオスの支持を表明し、後見人として事実上の最高権力者となることをはかった。恐れを抱いたペルディッカスとメレアグロスの間であわや内戦が始まりかけたが、この時アリダイオスは兵士たちに戦いをやめるように説得し、見事に開戦を阻止してみせた。しかしわずか数日後、軍隊を清める儀式の最中に、ペルディッカスの策によってメレアグロスは支持者もろとも滅ぼされた。 こうしてペルディッカスがひとまず主導権を確立し、武将たちにおのおのの管轄地域を指定して帝国を分割した。アリダイオスはマケドニア王ピリッポス3世として即位したが、大王の妃ロクサネの出産を待ち、生まれてくる子供が男子であれば出生の時点からアリダイオスの共同統治者となることが取り決められた。
※この「アリダイオスの登場」の解説は、「ピリッポス3世」の解説の一部です。
「アリダイオスの登場」を含む「ピリッポス3世」の記事については、「ピリッポス3世」の概要を参照ください。
- アリダイオスの登場のページへのリンク