アメリカ陸軍士官への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 06:18 UTC 版)
「ジェームズ・ギャビン」の記事における「アメリカ陸軍士官への道」の解説
1924年3月の終わりにアメリカ陸軍の徴募官と話をしたギャビンは、アメリカ陸軍へ入隊することを決意した。しかし、18歳に満たない志願者は親の同意書が必要であり、養父母が決して承諾しないであろうことを見越していたギャビンは徴募官に孤児であると告げ、他の孤児2人とともにその徴募官が後見人になることでアメリカ陸軍に一兵卒として入隊することができた。 1924年4月1日、ギャビンは宣誓式を終え、フォートシャーマンの砲兵隊で基礎訓練が行なわれ、155ミリ砲の要員を務めた後、パナマに配属された。パナマは快適には程遠い勤務地であったが、良い上官に恵まれている。 パナマ勤務の頃のギャビンは、空いた時間を図書館において本を読んで過ごしていた。この時ギャビンは、家族を養うためとはいえ、12歳で学校を辞めたことによる教育の欠如を痛烈に感じていた。また、ギャビンは自身の好奇心を満たすために勤務地の近くで小旅行を行うこともあり、この姿を見た上官のウィリアムズ曹長は、その可能性を見込んでギャビンを副官にした。ギャビンは入隊から6か月後には伍長に昇進した。 その後、ギャビンは上官のウィリアムズ曹長の助言もあって、陸軍士官学校に入学することを決意し、健康診断に合格、基礎教育が不足していたギャビンは1924年9月1日から近所の学校で準備のための教育を受け、さらに上官であったバーシ・ブラック中尉に家庭教師を依頼し、代数学、幾何学、英語及び歴史について学んだ。そして予備試験に合格し、受験資格を得た。 1925年の夏、ギャビンは陸軍士官学校に合格した。この時、ギャビンは18歳であり、経験年数の不足を隠すため、願書に21歳と書いた。 ウェストポイントでのギャビンは、講義を理解できるだけの基礎教育を受けていなかったことから、毎朝4時30分に起床してバスルーム等で教本を読む等の努力をしていた。このような困難にも関わらず、ギャビンは4年間にわたる士官の教育課程を終え、1929年にウェストポイントを卒業し、少尉に任官した。 また、少尉に任官した直後の1929年9月5日にイルマという女性と結婚した。
※この「アメリカ陸軍士官への道」の解説は、「ジェームズ・ギャビン」の解説の一部です。
「アメリカ陸軍士官への道」を含む「ジェームズ・ギャビン」の記事については、「ジェームズ・ギャビン」の概要を参照ください。
- アメリカ陸軍士官への道のページへのリンク